人の住む家は、そこに住む人がいなくなればその姿を変える。それは、家の中の部屋もまわりの庭も同じように変わってしまう。家はそこに住む主人の生きること自体に深く関わっているからである。と言うより、そこに住む人の生活そのものだからである。「住む」という行為は、働くとか遊ぶとかいう行為とどこか根本的に違っているように思える。どこがどう違った営みか、なかなか言い当てるのは難しいが、そこに住む主人の普段の感情がまわりの人や物との関係の中でそのつど「残っていく」ことにあるのではなかろうか。
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最近いろいろな分野で、新たな現象が起こりつつあるように感ずる。
まず気候である。日本の気候は繊細な移り行きがあり、一年がその周期になっている。最も典型的なものが春夏秋冬である。しかし、日本の季節の移り変わりはもっとその経過は短く区切られて名前も付けられていた。年、月、気、候の4つが基本だが、月の前半を節とよんでいた。これまで日本人は、時の流れに敏感であり、気を配り、季節の移り変わりに楽しみを感じていた。しかしこの数年間はその季節の移り変わりに変化が見られるようになった。いわゆる温暖化傾向がさけばれだしたのはかなり前であるが、現在は気候の移り変わり自体に変化が出てきた。地殻変動も活発化しつつあるという報告もある。それに関係してか、日本の気候が亜熱帯化し始めたのは事実らしい。いわゆる「自然史」に変化が起きたのである。宇宙がそれ自体変化しており、地球もその影響を受け変化し続けていることは疑えない。しかもそれに人間の欲望からの人為が加担し続けているということである。それ故、私がここで言いたいのは、いわゆる「自然史」の変化に、人間の営みが悪しき影響を与えていることも確かであり、そのことに自覚的にならなければならない、ということである。私は人間の営みの流れをここでは「時代」あるいは「時代性」と言う言葉で表しておきたい。この「時代性」にもいま大きな変化が起こりつつあるように思える。
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「バベルの塔」の物語は、旧約聖書のでてくる物語で、内容的には人間の思いあがり、あるいは「傲慢さ」(ヒュブリス)を描いた物語であるがゆえに、世界の各地にそれに似たな内容の物語は流布されている。人間が人間の身分をわきまえずに、独りよがりになり神へのあるいは自然への反抗、また他人への思いやりを忘れ、その不遜故に神からの罰、あるいは自滅の道を歩むことの比喩として語られる物語である。
「旧約聖書」第11章はノアの洪水の後、全地がひとつの同じ言葉となってしまった不幸の物語である。シナルの土地に移り住んだ人々は、天にも届く塔を建て、民族が全地に散らばるのを免れようとした。神はそれを見て「民が一つで皆同じ言葉」であるのはよくない「彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」といい言葉を乱してお互い通じないようにし「彼らを全地のおもてに散らされた」のである。それ故地上には、多くの民族が存在し、その数だけの言語が多数存在しているのである。この物語は「なぜ地球上に多くの言葉が存在するのか、お互い簡単になんの苦もなく理解し合えるように一つの言葉であればいいのに」という一見まともな疑問に答えている物語だと解釈出来る。この物語は、現代の世界の状況を反映している物語で、その意味するところを真面目に反省する必要があるのではないか。
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よく人から「なぜこの施設を<日時計の丘>と名付けたのか」と尋ねられることがある。
私は、何と答えたらよいか、分からない。これと言った理由がないからである。強いて言えば「日時計」が好きだからというぐらいの答えしかない。この建物を建てるとき、名前をどうしようかと考えたことはある。いろいろな案が頭に浮かんだ。
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最近ラジオをほとんど聞かなくなった。聞くのは車を運転するときぐらいだ。テレビもあまり見なくなった。面白くなくなったからだ。見るとしたらNHKの総合と教育の二つが主である。民放を見るのは、サッカーや野球中継のときぐらいだ。だが、この間ラジオを聞いていて結構楽しく、またラジオが復活してくるかも知れないとさえ感じた。このような傾向は、私個人だけのものだろうか。メディアの在り方に変化が起こりつつあるのかもしれない。
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前から気になっていたことに外国語の日本語表記の問題がある。と同時に、あるいはそれ以前に縦書、横書きの選択がある。先日ある雑誌の原稿を書いていて、ワープロで書いた横書きの文章を縦書に変換したら、様々な不備が出てきた、予想していたものから、なぜこうなるのだろうと考えてしまうものまである。
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私の学生時代に「孤独な群衆」とか「群衆の中の孤独」とかいう言葉が流行ったことがあった。その時、「孤独」ということが辞書的な「ひとりぼっち」とか「話し相手がいない寂しさ」とかいった、当本人が直接感ずるものではなく、他者との関係に中で作られるものだということを意識させられた覚えがある。言葉は同じ言葉でも意味やニュアンスが状況によって変化することは確かだが、今思うことは、言葉は他の言葉との関係のなかで決定されるということであリ、時によっては意味が反転してしまうこともあるということである。
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 今年の小正月には「どんど焼き」を見に近くの神社に行き、節分には家で豆まきもした。幼いころに戻ったような感じだった。さわやかな気分がした。
私は農村で子供時代を過ごしたからか、農家がそのつど行うさまざまな行事を経験してきた。それらの行事は農作業と不可分であり、季節の推移と並行している。なかでも節分は好きな季節であり豆まきは楽しかった。日差しが少しづつ長くなり、寒い冬から春に向かうまさに「節分」は季節の推移そのものの祭りだからだ。正月や盆にはどちらかというと宗教や為政からの色づけされた感じがあるが、節分にはそれがない。いわゆる既成の政治や宗教とは直接には関係がない。春待つ季節という自然感覚しかない。そこがいい。
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不思議なものはたくさんあるが、人間の記憶ほど不思議なものはないような気がする。これは私の経験でもある。私は心理学者でも脳科学者でもないから、科学的な根拠はないのだが私の記憶の中にある「薬瓶」の青い色の記憶は、他の記憶と違って鮮明度が高いのである。その理由はよくわからないが、心当たる節はある。その色の記憶は4歳ぐらいにさかのぼる。
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今年はなぜか「路地裏」にこだわってきたような気がする。
 この23日に上京したついでに、文京区茗荷谷から本郷まで歩いた。この周辺は明治以来の文豪墨客の史跡が近くに並んで点在する土地である、今回は主に、小石川小日向、本郷団子坂、菊坂あたりの路地裏を歩いた。何せ坂と谷ばかりである。しかもそれぞれの台地、坂、谷に名前が付いている。どこかで読んだり、聞いたりしたような名前が多い。自動車の通行ができないような狭い道があるので、まさに路地裏と言うにふさわしい。有名な『坊っちゃん』の最後の「死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんの寺へ埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと言った。だから清の墓は小日向の養源寺にある」という文章にひかれて小日向4丁目に行った。養源寺という寺はなく、清の墓のモデルとなったのは「本法寺」という寺である。このへんとしては敷地が広い立派な寺である、清の墓はもちろんないが、漱石の句碑があり、清の墓の謂れを書いた石碑がある。このくだりがある『坊っちゃん』の唐突に付け加えた感さえする最後の一節は、漱石の文章の中でも、いや、あまたある明治以来の小説の最後の文章として傑出していると私は思う。美しくあはれで、それでいて何か暖かさが感ぜられ、決して忘れえない文章である。
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