「バベルの塔」の物語は、旧約聖書のでてくる物語で、内容的には人間の思いあがり、あるいは「傲慢さ」(ヒュブリス)を描いた物語であるがゆえに、世界の各地にそれに似たな内容の物語は流布されている。人間が人間の身分をわきまえずに、独りよがりになり神へのあるいは自然への反抗、また他人への思いやりを忘れ、その不遜故に神からの罰、あるいは自滅の道を歩むことの比喩として語られる物語である。
「旧約聖書」第11章はノアの洪水の後、全地がひとつの同じ言葉となってしまった不幸の物語である。シナルの土地に移り住んだ人々は、天にも届く塔を建て、民族が全地に散らばるのを免れようとした。神はそれを見て「民が一つで皆同じ言葉」であるのはよくない「彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」といい言葉を乱してお互い通じないようにし「彼らを全地のおもてに散らされた」のである。それ故地上には、多くの民族が存在し、その数だけの言語が多数存在しているのである。この物語は「なぜ地球上に多くの言葉が存在するのか、お互い簡単になんの苦もなく理解し合えるように一つの言葉であればいいのに」という一見まともな疑問に答えている物語だと解釈出来る。この物語は、現代の世界の状況を反映している物語で、その意味するところを真面目に反省する必要があるのではないか。
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