「岬」という言葉には、ここではなくさらにその先という意味合いがある。私にとって岬は「その先にはもう行けないが、その先への思いはどこまでも続く」といった漠然とした広がりとあこがれにつながっている。
「岬」という言葉に最初に出会ったのは、戦後すぐラジオ番組で全国の天気という番組だったと思う。「足摺岬では南南東の風、風力2、晴れ、、、」と言った放送を聞いていた時だったと思う。小学生低学年の頃だったので、足摺岬がどこにあるのか知る由もなかった。どこか南の遠い海の近くの場所だろうぐらいで、四国にあるということさえ分かっていなかった、と思う。高校生ぐらいになってからだったと思うが、『足摺岬』(吉村公三郎監督、新藤兼人脚本、木村功、津島恵子主演、1954年)という映画を見た時、子供の頃聞いた言葉がある実感になったように思った。いい映画だった。いま見ても感動がある。思い込みが強いからかもしれない。それからその映画の原作が田宮虎彦であることを知り、その小説も読んだ。田宮も戦時中は左翼学生だった。戦時下本郷菊坂の下宿に住んでいた主人公の学生が、同じ下宿に身を寄せていた親しい教授がマルクスなどの左翼の本を持っているというだけで官憲に連れ去られるところに出会い、また想いを寄せていた食堂で出前の仕事をしており、自分の洗濯の手伝いや身の回りの世話をしていてくれた女性が、家の事情で郷里の足摺岬の近くの村に帰ってしまってから、主人公は生きる意味を失い、自殺を考えて足摺岬へと向かう。そこで病気になり、その女性に看病され、薬売りの男等に励まされ、再生していくきっかけをつかむ、といった話で、平凡といえば話は平凡だが、菊坂の狭い下宿と足摺岬の風土が当時の時勢と若者の心情をつなぎあわせていて、映画としてよく出来ていると思う。 Read More →

「夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に」
ー立原道造『のちのおもひに』よりー
先日、長野県伊那市に住む高校生の頃の同級生夫妻と、上田市にある「無言館」とその前身である「信濃デッサン館」に行った。無言館に一緒に行こうと以前から話し合っていたが、なかなか果たせなかった。久しぶりの再会だった。戦没者画学生の作品や遺品を集めたその美術館は上田市の西北のかなり離れた山の中の塩田平と呼ばれる丘陵地帯にあり、六月末の緑濃き森に囲まれて静かに建っていた。梅雨の合間の明るい光が、装飾の全くないセメントの建物をやわらかく照らしていた。正面の小さな細い入口の上に、
戦没画学生慰霊美術館
無言館
という文字が刻まれていた。「無言館」という文字だけが影のようにくっきりと見えている。中に入ると何かが起きそうな予感がする建物である。写真や本で見たり読んだりしてその概要は分かっているつもりだったが、いざその建物の前に立つと、全く異なった感慨が湧いて来るものだ。その美術館についての感想はまた機会を見て書こうと思う。
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