「みる きく よむ」は「日時計の丘」のモットーである。この三つは、ここで行われる行事に、多かれ少なかれ必ずかかわってくる行為だからである。そもそも、これらの行為は人間が「文化」なるものを作ってきた基本にある必要条件であった、と言ってもいい。しかし、この三つはどちらかと言うと、文化の「受容」にかかわっている行為である。「日時計の丘」が意図する行事の場所が主にこの「みる きく よむ」を中心に展開するという意味では十分であろうが、文化一般を考えると、文化を創造する能動的な面が欠けている。たとえば「書く、撮る、作る」などである。「日時計の丘」はその直接的作業場には適していないが、今後は、この「創造する」方向も考慮してイヴェントやプログラムの構成を考えていきたい。となると、いわゆる「編集」という作業が重要な位置を占めることになる。創作と受容、表現と享受の関係を相互に交差させるのが「編集」という作業だからである。そもそも「文化」は、それ自体で自立することなはく、時間・空間、運動・静止などの相互関係として成立するものであり、二つ以上の要素がかかわり合う、いわゆる「境界領域」を必要とするのである。「編集」作業が重要なのもそこにある。そういった意味で「日時計の丘」は、編集作業による境界領域でありたいと願っている。
クロード・レヴィ=ストロースの最晩年の書物に同名の『みる きく よむ』(竹内信夫訳 みすず書房)があるが、この書物は「日時計の丘」が目指す方向をよく示してくれている、と思う。
手に取っていただきたい書物である。