これから書くことは、個人的な問題で書くに値しないことだろうと思いますが、今になって直接感じさせられるようになり、私にとって重要な課題になって来たことを書かせていただきたいのです。話の中心は、昔から言われてきたように「世間様に顔向けが出来ない」ということの意味の理解と、「自分がいかに無能力であったか」という事実の自覚が遅すぎたことへの悔悟です。それならあと少しの人生をどう生きたらいいのか、という最期の難題に取り憑かれての困惑がそれに続いてやって来ているので、さあ、これからどうしたいいのか。そんなことを過去から引き続いてきた事実とこれからの生き様を考えたら「すみませんでした」と世間とそこで関係した人に、事あるごとに言い続けるより他に私には残されていないように思えてきたのです。太宰治は「生まれてきてすみません」と書いて自殺しました。自殺さえ出来ずに、その勇気さえなく、傲慢にずるずると生きて来てしまった私にできることは何か、まだ何かが残されているのか、誰か助けてくれる人がまだいるのだろうか、そんなことを、恥の上塗りの覚悟で書いてみたいのです。 Read More →

このところ寒波がやってきて、大雪をもたらした、という記事や映像が新聞やテレビに載った。東京に久し振りに20センチあまりの積雪があったからだが、日本海側の積雪地帯の人たちは、東京にも雪が降ったのか、20センチ位でなんでそんなに騒ぐのだろう、と感じた人は多くいたであろう。私もそう思った。
ただ、雪にはどこか人を日常生活から隔離させてしまうような、言って見れば非現実的な感覚をもたらすものがあるようだ。川端の小説『雪国』も雪がもたらす、周囲や通常持っている普通の意識さえ無化してしまうような感覚に多くを負っていることは確かだろう。私も子供の頃からの「雪の思い出」は多く、深く心に刻まれている経験も少なくない。雪にはどこか不思議な感覚を喚起する要素があるのだ。 Read More →