橋にはいろいろある。向こうに渡るという目的は同じでも、その橋が作られた国・時代・場所によって全く異なった様相をもつ。丸太一本のものから、蔓で編まれ、狭い谷に掛けられていて渡るのが怖いような揺れる吊り橋、となり村との境界になっている淋しい木橋、大正時代頃独特のセメントで作られた懐かしい村中の橋、現代のように、高速道路が山間いの深い谷の上を走り、海の水面を駆け抜けるために海上に作られた何キロメートルもある長い橋まで、様々である。
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橋は特別な場所である。おそらく橋は人類が自然に働きかけた最初の工作物だろう。また、橋を見るとどうしてか渡ってみたくなる。これも人間が長い経験を積み重ねてきた無意識のようなものだと思う。なぜなら橋なるものは、向こうに渡るために作るものだからである。
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このところ難しい問題についてばかり書いてきたので、今日は少し最近経験しそこで感じた具体的なことを書いてみようと思う。
一昨日久し振りに散歩をした。私の住む福岡市の南に位置する柏原地区は、佐賀県と接している背振山系の麓にある油山と呼ばれる小高い山の東側に位置していて、以前は農作地帯だったが、四十年ほど前から山を削って新しく造成され「花畑ハイツ」と呼ばれる地域である。それ以前は小さな農家の集落が散在していただけだったという。それから福岡市の郊外の住宅地に変貌したところである。ここも高度成長期からの日本の都市変貌の典型的な姿であると言えよう。私がここに住み始めた頃はまだこのあたりは、周りに古くからの農家があったが、今は周りに少しの田んぼを残して、ほとんど一軒家の住宅が建ち並ぶようになった。現在もさらなる土地の造成と団地建設が続いている。空き家も増えているというのに、何故今さら山や丘を切り崩し、森の木を切って宅地を造成しなければならないのか私にはよくわからない。福岡市の中心からバスで四十分近くかかり、それほど交通の便がいいとも思われないのに、土地造成は終わることなく続けられている。 Read More →