「みる、きく、よむ」は「日時計の丘」の当初からの標語であった。この三つの組み合わせで、文化を総合的に捉えようとしてきた。これまで決してうまくいったとは思っていないが、そのモットーを目指してきた。それなりに私たちの試みを理解してくださった方もおられ、有難いと思う。それを踏まえて、私たちはさらに進んでいかなければならない。先がはっきり見えているわけではないが、終わりがないことだけは確かのようだ。あとは何か余韻のようなものが残り続けてくれることを願うより外にない。 Read More →

子供の頃から「流浪の民」という曲を聞かされてきた気がする。姉がよく歌っていたからである。戦後すぐの頃のことである。それから「何処ゆくか、流浪の民、、」という最後の言葉だけが耳につてはなれなかった。今もそれは変わっていない。何か分からないが、田舎に住んでいた私たち子どもにとって「流浪の民」という言葉から見知らぬ異国の世界がどこか遠いところにあり、そこで何処へいくとも分からず、彷徨っている人達のことが気になったのである。「流浪の民」とはどんな人達だろうと。この曲がシューマン作曲の合唱曲であることを知ったのは、高校の時音楽部の人たちが音楽室で歌っていたし、それが当時は合唱曲の定番であった事を知ったのもその頃のことだ。その時も「何処ゆくか、流浪の民、、」という最後のところだけがやけに響いてきた記憶がある。この合唱曲は現在はあまり歌われなってしまったらしい。「流浪の民」とい言葉も忘れ去られてしまうのだろうか。 Read More →