今年ももう弥生、3月になってしまった。
私は、春先によく思うことがある。夭折した人たちのことでる。なぜ春先なのかよくわからない。3月は別れの季節だからかも知れない。「春なのにお別れですか、、、涙がこぼれます」(中島みゆき)一見俗な歌詞だが、この時期にふさわしい別れの季節感が伝わってくる。「春なのに」という言葉がリフレインされ「別れ」ることとの連関が奇妙に悲しく聞こえ、それがずっと残り続ける。この季節とともに何かが終わり、何かが始まるのだ、と。昔から季節と行事が深く関わってくるのは、深い必然性があるのだと思う。しかも春の行事はどこか哀しい。「雛祭り」がそうである。「明かりをつけましょぼんぼりに、、、」「、、、今日はうれしいひな祭り」と歌いながらも、聞いているとどこか哀しさが響いてくる。大分県の江戸時代から天領として栄えた日田市の「おひなさま祭り」は有名で、たとえば古い町並みの豆田町にある旧家草野本家には素晴らしい雛壇が飾られている、160体ぐらいはあるであろうか、江戸時代の古いものから明治・大正・昭和あるいは平成に至るまでのものがずらりと並んでいて、雛壇の博物館のようになっている。見ていて興味深く飽きることはない。ただ、一つ一つの雛を見ればそれなりの時代、それなりの姿があるが、これだけ多くずらりと並べてしまうと、ひな祭りがかもし出す、楽しいけれど、華やかな明るさではなくどことなく悲しみが漂う暗さのような情感が失われてしまうような感じがしてくることも確かだ。展示されたたくさんの雛人形の集約体は、娘たちの遊びからくる、幼いながらもそれぞれが子供時代の経験を可能にする場を作る行事というよりは、多くの見物人が集まる見世物的要素を強くし博物館化てしまうからであろう。そこから悲しみが消えてしまうのである。草野家のひな祭りにも、以前は、そこはかとない悲しみのような何かががこの座敷には漂っていたに違いない。
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