昨日節分だった。豆をまいた。掛け声を出してみたら「鬼は外、福は内」が先なのか、あるいはその逆なのか分からなくなった。調べてみると両方あるらしい。どちらでもいいのかなと思って、両方言ってみたら、どちらもそれなりによく響いた。特別なことにこだわらない限り、何事も二つあり、それが現実であり、普通のことなのかもしれないと思った。どちらでもいいのである。悪く言えば「優柔不断」になったとも言えるが、若い頃よく使っていた「絶対に・・・」という言葉使いに違和感が出てきたのである。何事に関しても絶対的より相対的な言葉のほうが現実に近く、使っていて気が楽になるのである。「どことなく」とか「なんとなく」と言った言葉もよく使うが、それは「それほどの意味もなく」という曖昧な表現で、それ故に親しみ深く感ぜられる言い方である。そのような何かに直接こだわらない言葉が使いやすくなってきた。歳を取ってきたからだろうか。「おかげさまで」と言う言葉は年寄りの言い方で、子どもが使う言葉ではないのも同じ理由からだろう。「どこからともなく」匂ってくる梅が香が路地に漂ってくる。まさに梅の季節だ。
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