今年の小正月には「どんど焼き」を見に近くの神社に行き、節分には家で豆まきもした。幼いころに戻ったような感じだった。さわやかな気分がした。
私は農村で子供時代を過ごしたからか、農家がそのつど行うさまざまな行事を経験してきた。それらの行事は農作業と不可分であり、季節の推移と並行している。なかでも節分は好きな季節であり豆まきは楽しかった。日差しが少しづつ長くなり、寒い冬から春に向かうまさに「節分」は季節の推移そのものの祭りだからだ。正月や盆にはどちらかというと宗教や為政からの色づけされた感じがあるが、節分にはそれがない。いわゆる既成の政治や宗教とは直接には関係がない。春待つ季節という自然感覚しかない。そこがいい。

 どこにも行事としての祭りがある。ある祭りの起源はよくわからない場合が多いらしい。その筋の本を読んでも「・・・が起源と言われている」といった記述しかない。ただ言えそうなことは、行事としての祭りは、起源が分からない土着的な祭りを、為政者が特定の宗教を媒介にして作り上げたものがほとんどである、と言うことだ。土着民をその支配下に置く常套手段なのである。ヨーロッパに「謝肉祭」(カーニヴァル)と呼ばれる祭りがあるが、南ドイツやスイスでは「ファスナハト」と呼ばれている。行われる時期はほとんど同じだが、意味合いと雰囲気は土地によってかなり異なっている。田舎の村に行けば行くほどその違いはさらにはっきりとしてくる。土着性の強い祭りなのだ。キリスト教の復活祭前に行われる断食(肉を断つ)の後の受難節の始まりの意味を持っているのだが、この祭りは、もとはゲルマンの冬が終わりを告げ、農の仕事始めの祭りだった。まさに「節分」の行事なのだ。それをキリスト教の暦の中に組み入れようとしたのである。クリスマスも実はキリストの生誕には関係なく、冬至の季節に行われるゲルマンの「樹木祭」(バウムクルト)をキリスト教が宗教的な意味を付加して暦化したに過ぎない。それゆえ、祭りは地域性を包含して、その形態も変わっていく。「カーニヴァル」も「クリスマス」も南米に行けばまったく異なったものになっている。それはいいことなのかも知れない。
 話は急に変わるようだが、あるいはもっと長い話をしなければならないのだろうが、ここでは「都市」と「農・漁村」とを架け橋する「分配」の思想・芸術について考えたい。まさに「節分」の思想である。「地方の時代」などという言葉が叫ばれて久しいが、その実態は全く逆で「地方性」を忘却し否定する方に向かっているように思えてならない。確かに「都市の空気は自由を作る」という言葉に代表されるように「文化」なるものは都市的なものである。それは今始まったことではない。すでに古代都市の時代から中世の都市を経て近代・現代都市に至るまで、この事実は否定しがたいものだ。しかし、その「都市文化」なるものを下から支えている地盤は、土着的な古層にあることを忘れてはならないだろう。私たちにできることは、都市的に「文化的なるもの」に同嫡することではなく、土着的なものの上に立って、それへの架け橋を批判的に自力で作ることである。それには、杉浦明平や松永伍一の仕事を思い浮かべてもいいかも知れない。杉浦の場合だったら『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』と『海の見える村の一年』を『ピノキオ』を介して連結させることの意義を考え評価することであり、松永伍一が感じた「五木の子守唄」の本当の「悲しみ」を追想することである。最近はやりの「有識者」などという御用学者ではなく、理論と実践の乖離の実情を知っている市井の人たちの話を聞きたい。いま教育に必要なのは「公的な学校」ではなく、季節の推移を肌で感じ、農・漁村の風景を見続けている人たちによる「私塾」のようなもではないだろうか。世界に広がる公的教育を否定するわけではないが、今大切なのは、その二極を同化させるのではなく、一見あいまいのように見えるが、それらを自立させながら媒介させる「橋」や「梯子」を用意することのように思える。そう言った、冬から春への連続と分断を弁えた「節分」(=分配)の思想を身につけていきたい。

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