不思議なものはたくさんあるが、人間の記憶ほど不思議なものはないような気がする。これは私の経験でもある。私は心理学者でも脳科学者でもないから、科学的な根拠はないのだが私の記憶の中にある「薬瓶」の青い色の記憶は、他の記憶と違って鮮明度が高いのである。その理由はよくわからないが、心当たる節はある。その色の記憶は4歳ぐらいにさかのぼる。

私の父は93歳まで生きた。明治生まれとしては長生きの方であろう。しかし、働きざかりの40歳頃は病気がちで、よく床に伏せていた。正確に言えば、肩を丸めてうつ伏せのような恰好で寝ていた。喘息持ちだったのである。常識とは逆のように思えるが、喘息の発作が起きるとそのような恰好が楽だったのだろう。私は週に一度父の薬をもらいに、ゆるやかな坂を上がった高台にあり歩いて10分ぐらいのところにあったお医者さんのところに行かされた。今考えると上の姉や兄は学校があるし、母は妹の面倒を見なければならないから、4歳の私が行く事になっていたのだろう。父母も心配だったらしく,帰ってくるといつも労ってくれた。しかし、私は薬を取りに行く事はいやではなかった。大切なことをしているのだという子供なりの自負があったからであるが、そこにいつも優しくしてくれたおばあさんがいたからである。私が行くと「きかん坊」よく来たなと言って、仕事の手を止めて私の頭を撫でてくれた。なぜ「きかん坊」なのか当時は分からなかったが、私についての話を父母から聞いてそう言うようになったらしい。そこの医者の家は遠い親戚筋の方だったからである。どうしたわけか、おばあさんは、私がそこに行くときにはいつも井戸端で洗濯物をしていたような気がする。「さあ上がれ」と言って、私を家の中に入れてくれ、いつもおやつをいただいた。こころの優しい気品のあるおばあさんだった。待合室や診察室のある、いわゆる正門ではなく、勝手口からいつも入っていた。勝手口を上がっていくと中庭があった。そこを廊下がグルっと取り囲んでおり、そこを左に行けば薬局や待合室の方へ、右に行けば和室のたくさんある母屋になっていた。大きな家だと思ったものだ。外観も当時としては珍しい洋館風のもので、遠くから見てもすぐそれとわかる特殊な風情のある建物だった。
そこの薬局での出来事だった。そこのドアが開いていて中が見えた。備え付けの棚の上から下まで薬瓶がきれいに揃えて並べられていた。そのなかにひとつ、非常に目立った青色の瓶があった。その瓶の青い色が目に焼き付いて離れなかった。なんて綺麗な色だろうと思い、その青色の印象は今でも鮮やかに思い出すことができる。その瓶の他にも、茶色や緑色、それに透明な瓶もたくさんあったのだろうが、私の記憶にあるのは、その青い色の瓶である。これまで様々な青い色を見てきたが、あの瓶の青に似た青い色を見たことがない。物理的な色としての青さはそれとほとんど同じ色をたくさん見ているのだろうが、記憶に残らないし、実際残っていない。ただ、いろいろな色の瓶が並んでいる中で、その青い瓶一つだけが特殊ではっきりと記憶に残っているのはなぜだろう。その謎は未だに解けていない。
一つだけ気がついたことがある。27歳という若さで亡くなった、オーストリアの詩人ゲオルグ・トラークルの詩の中にでてくる「青色」の表現に出会った時だ。まず「青色の瞬間」という言葉に、私の薬瓶の青色の発見もこれに近いのではないか、と思った。トラークルはよく「青い」という言葉を使う。しかも錯乱とか憂鬱とかいう精神の病の感情表現のなかにこの「青色」が出てくるのである。死は灰色と白だ。だが、錯乱と狂気を共にした死への道行の途上に見えるのは、象徴的に結晶した「青色」だ。トラークルは薬物の常習を最後まで拭い去れなかった。死因もコカインの飲み過ぎだったらしい。幻覚にもしばしば襲われた。しかし「青色の瞬間」はトラークルにとって、数少ない至福な瞬間だったのではあるまいか。青色はトラークルにとって幸福な時間の経過といつも同居している。例えば、
「いまいちど夕暮れの青い嘆きのあとを慕い 丘の辺をすぎて春の池のほとりをゆく。、、、青い湧き水が水晶の波をたてて、こうして霊気にみちて緑に芽ぐみはじめる 柏の樹々が死者らの忘れられた小径に。、、、」(「ヘルブルンにて」平井俊夫訳)というように。トラークルは若くして薬剤師を目指し、ウィーンの大学では薬学を学び、ザルツブルクの薬局の調剤師になった。トラークルの「青色」の記憶はもしかしたら、薬剤師見習いのころ見た薬局の棚に並んでいた薬瓶の色だったかも知れない、と私は考えてしまう。うす暗い薬局の静かな部屋にさす窓辺の光によって浮かび上がる「薬瓶の青」は他にない独特の印象を瞬間的に記憶の底に刻み付けるように思える色だからである。透明だが深く濃い青なのである。理由は定かではないが、この青色はやはり「瓶の青色」でなければならないことだけは確かのように思える。トラークルの詩にでてくる青色は、私が子供の頃薬局で見た「薬瓶の青色」の記憶をはっきりと蘇させるからである。記憶の不思議さを思うのは、そういう時である。

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