よく人から「なぜこの施設を<日時計の丘>と名付けたのか」と尋ねられることがある。
私は、何と答えたらよいか、分からない。これと言った理由がないからである。強いて言えば「日時計」が好きだからというぐらいの答えしかない。この建物を建てるとき、名前をどうしようかと考えたことはある。いろいろな案が頭に浮かんだ。

まず「ぺんぺん草の館」「楠の木ホール」という二つの名前が浮かんだ。ここは以前雑木林だった土地で、私がこの土地を手に入れた時、雑草が茂っており、そこに沢山のぺんぺん草が生えていた。そのことをドイツに住んでいる友人に言ったら、それなら「ぺんぺん草の館」はどうかと言ってきた。いい名前だと思った。「楠の木ホール」は、そこに生えていた小さな松と雑木林は造成の時整理されてしまったが、一本だけ大きな楠の木が残されており、この楠の木を中心に建物を設計してもらったからである。しかし、この施設はホールだけではないので、名前としては適当ではないと判断した。建物を建て終わると、ぺんぺん草は殆んど無くなってしまっていたので「ぺんぺん草の館」という名前には愛着があったが、止めにした。その名付け親はこの2月に亡くなってしまった。「ぺんぺん草の館」という名前は彼とわたしの間でしか通じないが、「日時計の丘」別名「ぺんぺん草の館」が実の本名だと今では思っている。
「日時計の丘」と名付けたのは、あえて言えば次のような理由からである。
小学生の頃、学校に通う道の途中に石橋があった。五本杉と呼ばれていた所である。その石橋の手前で小さな川が二つ合流していた。私はその橋の上で様々な経験をした。橋からの眺めは四季折々に美しかった。春、石橋の周りは一面のれんげ畑で、残雪の南アルプスの遠景は壮観だった。夏の夕方にはホタルが飛び交っており、そう言えば近くの池には「源氏蛍発生の地」という石碑が建っていた。冬の雪の日には曇天から落ちてくる雪を石橋の上から長く眺めていると、体が浮いて重力を感じなくなり、天に向かって上方に登っていく不思議な体験をした。忘れがたい感覚だった。また、石橋を渡る時間によって自分の影が長くなったり短くなったりしたことが、不思議だった記憶も鮮明に残っているが、どうしてそうなるのかは、小学校の理科で太陽の動きによることは勉強してわかったし、あまりにも当然のことなので、その後そのことは気にならなくなり、ずっと忘れかけていた。ドイツに住むようになって、ヨーロッパのどこの国に行っても旅行中に日時計を見かける事が多くあり、子供の頃、五本杉の石橋の上での自分の影が伸びたり、方向が変わったことを思い出した。人里から離れた修道院や寒村の古い農家の壁に描かれた日時計は、私の古い記憶と連結した。その時、今度建てる建物の入口の壁に日時計を描いてもらおうと思い立ったのである。「日時計」という言葉も、わたしの心の奥に潜んでいる心象風景と響き合うものがあった。日時計が描かれている建物やその場所は例外なく静かで、様々なことを思い出すことができたからである。旅行して日時計を見る機会は何度もあったし、わざわざ日時計を見に出かけたこともあったが、どこの日時計も同じものはなく、形も色もデザインも個性があり美しかった。それから、日時計についての本や、写真集などを集めて研究した。日時計は壁に描かれたものばかりでなく、旅に出るとき持っていくような小さな道具のようなものまであり、ほんとうに様々である。栃木県佐野市に日時計の研究をしている小野行雄という方がおられ、日時計の制作と世界の日時計の収集もしており、時々「世界の日時計コレクション展」を開いておられる。私も携帯日時計をいくつか持っているが、穴が開いているだけの簡単なものから非常に複雑なものまでさまざまであり、時を計る「からくり」の制作に対する執念は現在の時計職人にまで引き継がれているように思える。
日時計に関心を持つようになってから、私たちが日常なんの疑いもなく使っている時刻と時間という事柄が人間にとっていかに重要で、不思議な現象であるかを強く意識するようになった。標準時という考えもその一つである。世界の標準時はロンドン郊外の王立グリニッチ天文台にあるし、日本の標準時は兵庫県明石市にある明石天文台にあることは小学生でも知っているが、その意味につて考える人は少ないだろう。今現に時を刻んでいるのは電子時計だが、その元は太陽の動きにある。人間に時の流れを示してくれるのは日時計にその原点があるのである。正確に時を刻む電子時計の作動は太陽の位置による基準時が定まった後の話しである。それ故日時計を使えば、自分の立っているところを標準時にすることも出来る、まさに「自分の時刻」を経験できるのである。そもそも時刻と時間を計測すること自体が実は不可能なのである。それをあえてやっているのが、時間や時刻を空間化している「時計」なる装置である。哲学的に言っても「時間」なるものは最も身近に感ぜられるものだが、最も捉えがたく概念化出来ない不可思議な現象なのだ。古代エジプト、インド、中国でも時間に対する不可思議さ、それに対する畏敬の念は面々と現代まで続いている。いくら正確で精密な時計が作られても時刻や時間の意味が変わることはない。人間は否応なしに、時の奴隷なのである。時には勝てないのである。「時は人を待たず」ということだ。
それを反映してか、どこの国の日時計でもその上や下に、古来から語られ伝えられてきた銘句や絵柄が描かれていることが多い。基本的には、「時」は太陽の動きに従っていること、そこから導かれる、天の時間と地の時間、自然の時間と人間の時間との関係を意味しているものが多い。例えば「全てのものの上に太陽は輝く」「永遠について考えよ、時は刻まれる」「時に捕らえられないように祈れ」「働け、時は過ぎ去るのだから」「巡礼者は時間のように通過する」などなどが、ラテン語であるいは土地の言葉で書かれている。考えた末ここでの銘句は「tempus omnia regit」を選んだ。意味は直接的には「時がすべてを支配する」という意味であるが、私は、人間は時の流れに従って生きるしかない、つまり「諸行無常」という意味に理解している。日時計の「丘」となっているのは建物が建てられている場所が、周りが見渡せる丘の上に立っているからである。「すべての出来事に時あり」という意味を告げる「日時計」がここでは実の意味をもっているのである。このブログの名称である「結晶時刻」もこの考えの延長にある。生の言葉は時と出会って初めて「言葉という結晶」になるのだ。その名称を提案していただいたのは、「日時計の丘」建設以来いろいろ助言をくださった女性である。そう言えば、時を告げるのは「Horae」という、主神ジュピターと女神テミスとの間に生まれた「娘たち」だった。女性が時満ちて子を生むからである。時は女性に支配されているのかも知れない。もっと言えば、止めどなく流れる時間は女性的で、その流れを一時止めようとして打たれる杭は男性的と言えるかもしれない。
このところますます「時刻や時間」の不思議さを感ずることが多いので、これからも「時刻と時間」について具体的に書いて行きたい。

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