色に色調があるように、音にも音調がある。「音色=ねいろ」と言ってもいい。
音色という言葉で、私が思い出すのは、豆腐を売り歩くときに外の道路から聞こえてくる笛の音である。特に夕暮れの頃聞こえてくる豆腐売りの笛の音ほど淋しく、また哀しく響く音は外にあまりない。子供の頃から私の耳にあの哀しそうに響く音は未だに変わらない。理由はよくわからない。路地を歩きながらの豆腐売りが何時頃始まったのかも分からないし、豆腐売りのあの笛は何時誰が使い出したのだかはなおさら不明だ。ただ私にとって肝心なのは、何故あのような哀しい音になったのだろうか、ということである。それとも私だけがあの笛の音にそのような感情を抱いてしまうのだろうか。
私はあの音色の淋しさはどこから来るのか不思議に思い、いろいろな楽器で試してみたが、あの音色が出る楽器に出会ったことがない。あの音色は、豆腐屋さんが吹く笛以外には出せないのではないかと思っている。私の思い入れもあるかも知れないが、あの笛の音は他の音では決して代えられない特殊な音色である。それは何度言っても言い切れない不思議な響きである。
色を言葉で表現するのは難しいことは以前にも書いたような気がするが、音も同じである。音が私たちに与える感覚を言葉にするのは簡単ではない、むしろ不可能と言ったほうがいい。しかし、どうにかして人間はその音の感じを伝えようとしてきた。先ず考えられるのは擬声語ないしは擬音語と呼ばれる表現方法である。雷がゴロゴロ鳴る、水車がクルクル回っている、犬がワンワン啼く、雨がポツリポツリと降り始めた、風が吹きドアがキュウキュウと軋む音が聞こえたなど、単純に言うと、同じ音を繰り返す表現方法である。外国語ではそういった言語表現はオノマトペイア(onomatopoeia)と呼ばれる。さらに擬態語とよばれる表現方法もある。それは聴覚以外の視覚・触覚の感覚を反復しながら言語化する表現方法である。星がきらきら光っている、足がふらふらする、小川はさらさらと流れ大河はゆったりと流れる、この石はすべすべしている、などの表現方法である、これらの言語表現方法が最も発達しているのは日本語である。間違いない。他の言語と比較にならない。日本語の特殊性とも言っていい表現の仕方である。しかし、ここで問題にしたいのは擬音語や擬声語あるいは擬態語についてではない。音そのものが発し、それが言語化されたた時、それを聞いた人が感ずる心情や、思い浮かべる情景や事柄についてであリ、その言語表現がもたらす「何か」についてである。音を言語化する場合、いわゆる「音色」のほかに、そこに広がる情景やそこで感ずる心情まで行き着くような表現がある。その表現を「ねごと」と呼び「音言」ないしは「音事」という文字を当ててみることにする。その言語表現や文字に違和感を感ずることは承知しているし、実際にその文字を使うつもりもない。にもかかわらず、それがどのような物事や情感を表現したいための仮りの文字かを理解してしていだければと願うだけである。
太宰治に『トカトントン』という短編がある。戦後昭和22年頃書いたと言われている。すべてが無意味になってしまった戦後の喪失感、何もやる気が起こらない無気力感、何かをやり始めてもそれを維持することの出来ない無力感などを、その「トカトントン」という音に感じている。ある日、壊れた家を直すために、金槌でトタン屋根か何かに釘を打っている音を聞いた。それから、戦後の何をやっても無意味に感じてしまい長続きせず、無気力感だけがやってくると、どこからかこの「トカトントン」という音が聞こえてくる。実際にその音が聞こえているわけではないが、何かをやろうと決心しても、この「トカトントン」という音が聞こえてくる、そうするとなにもかもが無意味に思えてやる気ががなくなり、喪失感だけが残る。心のなかに「トカトントン」という音が住み着いてしまったのだ。私には今でも「トカトントン」という音が響いてきた時の主人公の心情が自分のことのように感じられる。一度この音を聞いてしまいその音がある心情と結びついてしまうと、他の音ではその心情にはなれない。「トカトントン」以外の音ではだめなのである。あらゆる人に共通な戦後の喪失感をその音に託した太宰の才能に驚くばかりだ。豆腐売りの吹く笛の音に「哀しい音色」が住みついているように、この「トカトントン」という音が、すべてのものに対する無気力、無意味さ、喪失感として内在化され、その虚しいという心情と結合してしまったのだ。この音がいわゆる「音色」として機能しているのである。「音色」(ねいろ)とは特定の音が、心情的風景を表す言語記号(シニフィアン)になった状態を言うと考えていいと思う。私がここでいう「音言=音事」(ねごと)とはその「音色」からの類推だが、言語感覚とその内容から言えば「色事」という表現の仕方に近い。 それはその音そのものがもたらす心情や雰囲気だけでなく、その音の来歴やその音に関わる具体的な事柄や行為をも内包している表現形態であるからである。もう少しその説明を試みてみよう。
日本語に「寝言」(ねごと)という言葉はあるが、それを「音言」あるいは「音事」と書くことはなく、そう言う表現もない。結論から言えば、太宰が使った「トカトントン」は「音色」であると同時に「音言=音事」としての表現と言ってもいいのではないかということである。実は「寝言」も「音言」ないしは「音事」の意味内容を含んでいるのだと思う。実際にはそう言う言葉は存在していないのであまり説得力はないと思うし、新しい言葉を作ろうとしているわけではないが、私がここで何を言おうとしているか、何を言いたいかが分かってくださる方もおられると思う。
林芙美子に瀬戸内海に面する町尾道の風物とその街で薬を売り歩く家族を描いた『風琴と魚の町』(1931)という作品がある。
「父は風琴を鳴らすことが上手であった。
音樂に對する私の記憶は、この父の風琴から始まる」
この二行でこの作品は始まる。この二行がこの作品のすべてだといってもいい。あるいはこの二行の内容を描くためにこの作品を書いたのではないかとさえ言えそうな気がする。読者はまず、風琴とはどんな樂器でどんな音がするのだろうと考える。それから父はその風琴をどのように鳴らしたのだろう、と思う。それに対する答えは、作品の真ん中ほどに出てくる。
ー父は風琴と辨當を持って、一日中、「オイチニイ オイチニイ」と、町を流して薬を賣って歩いた。
「魚師町にいってみい、オイチニイの薬が來たいうて、皆出て來るけに」
「風體が珍しかけにな」ー
この部分を読んだ読者は、風琴を鳴らしながら「オイチニイ オイチニイ」と掛け声をかけながら歩いて薬を売っている、滑稽さと哀れさが同居した父の薬売りの情景を思い浮かべることが出来る。ここで私たちは風琴の音色と父の掛け声とが組み合わされて経験する「音事」に遭遇する。「オイチニイ オイチニイ」という言葉によって、薬売りの男が掛け声をかけ、風琴の音を奏でながら町を歩く事態を一つの具体的情景として思い描くことが出来る。この言葉と事柄の結合をここで「音言=音事」と呼んでいるのである。
川端康成の代表作『山の音』に、この「音事」というあり方が示唆する表現形態が、主人公自身の心的な動きを読者に伝える秘訣のようなかたちで見え隠れする。『山の音』の主人公の場合、具体的にどんな音が聞こえたか書いていない。現象的には、主人公が鎌倉の裏山から聞こえてきたという「山の音」は心理学で言う「幻聴」に近いとも言えるが、その音は戦後すぐの巷の荒廃と自分の死の予兆としてこの小説の核になっており、構造的にはここで言う「音言=音事」の役割を果たしているようにみえる。
個人的な経験をひとつ書いておく。
20世紀最高のチェリストと讃えられる演奏家パブロ・カサルスにまつわる話しである。カサルスは、自分はスペインというよりカタルニア出身という自覚と自負を強くもっていた。
スペインの独裁者フランコ政権のとき、スペイン東部のカタルニア地方は、統一をよしとしなかったため、迫害を受けた。カタルニア人であったカサルスはフランコ独裁政権に抗してフランスのピレネー山脈の麓の小都市プラドに亡命した。しかし、カサルスが住んだ小さな家にはピアノがなかった。カサルスはプラド近郊にある温泉地のホテルによく練習に行った。そのホテルはピレネー山脈を流れる渓流のほとりにあり、日本の温泉郷を思わせる景観を背にしていて、親しみを感ずる土地柄である。それ故か、ピレネー山脈中にあるこの地が、ヨ−ロッパで私が訪れた場所としては最も日本の渓流にある温泉地と雰囲気が実によく似ているところだと思っている。
カサルスはいつも、自分の演奏会の最後に故郷を想い、平和を願ってカタルニアの民謡である「鳥の歌」という曲を演奏した。ニューヨークにある国連の一室で、ケネディ大統領の前でも「鳥の歌」を演奏し、大統領を始めそこに出席していた国連の政治家たちに大きな感銘を与えたと言われており、この演奏会は後々まで語り継がれる記念碑的な演奏会となった。その演奏会のライヴ録音のCDもあり、確かにカサルスの弾く、カタルニア地方の悲しみがにじむ「鳥の歌」には、聞いていて特殊な感銘を受ける。
カサルスは、練習のためにしばしば訪れたホテルに感謝の意を込めて、「鳥の歌」を奏でるカリオンを特注し、ホテルの東側の渓流の近くに位置する建物の西側の屋根に設置した。そのカリオンは朝9時と午後5時の二回奏でることになっている。私は「鳥の歌」のメロディを響かせるカリオンの音を聞きにそのホテルに行ったことがある。その澄んだ音は後ろの渓流にまで、まさにここで言う「音言=音事」のように鳴り響いていた。
最近の例を挙げれば、NHKの朝のドラマ『花子とアン』の主人公村岡花子がよく口にする「ゴキゲンヨウ サヨウナラ」という言葉は「音色」と「音言=音事」がよく咬み合っており、いい印象を与えている。美輪明宏の語りもそのような言葉のあり方を暗示しながらその関係をうまく踏襲し表現しているように響き、言葉の与える印象の重要さを感じさせる。
「音色」について
お豆腐やさんの「あの音色の淋しさ」は「心情的風景を表す言語記号」であるならば、少しひなびた風土に生まれた日本人の特権であり宝物として今はあまり耳にしないあの音を大切にしたい。ただ「心情や雰囲気だけでもない」ことも興味深いです。
ただちょっと次元の違うことですが、どうしてお豆腐を売り歩くのにあの哀調を帯びた音色のでる笛を使いはじめたのか?「風琴と魚の町」の「オイチニイ オイチニイ」でお豆腐を売ってもよかったのかも?先日テレビのドキュメンタリー番組で北海道のヤリ烏賊の行商人が『イガー イガー」と売り歩き顧客も少なからずついてくるとのこと。でもやっぱりお豆腐屋さんにはあの淋しい音色が似合っているのでしょう。その音色にも、きっと「太宰が使った『音言』の意味内容」を含んでいることでしょう。
「今日は売上わるいなあ、朝からカアちゃんと言い争ったもんなあ、いつものキレイな奥さん声かけてくれなかったなあ、アレッ雨がふりだした、帰ったらヤケ酒でも飲むか、この雨で大豆も育つか、しかも今日降っているから明日は晴れだろう、」こんな「寝言=音言」を含ませてお豆腐屋さんは笛を吹いているのかもしれない。ただ太宰の作品と違って最後はポジティブな内容の「音言」になっているかも。それでもあの哀調を帯びた音色とは不思議で有難いです。
NHKの「いい印象を与えている」と述べられている「ゴキゲンヨウ サヨウナラ』という言葉は、確かに淡いあたたかさをもってしばしの別れを惜しむ情感が内包されて同感です。それと同じように私が気に留めている言葉があります。それは「いっといで」ということばです。
どこどこへ「行ってきまーす」または「行ってくるよ」に対しての答えが「いっといで」と返ってくると、その「いっといで」に穏やかでしかもサラッとした愛情を含んでいるような気がします。それほど濃い強烈な印象のあるとは言えない気もする言葉だが、その「いっといで」には当然、何ごともなく普通に帰って來るのよと信じきって送り出している側のこまやかな心情が伝わってきます。私がそう感じる言葉のひとつです。
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