昨今、雪が少なくなったと言う。全国では九州は南の国という観念があるが、昔は結構雪が降ったらしい。「このあたりも以前は雪がよけい積もりましたよ」と近所の農家のお年寄りが言っていた。私はここに来て30年ほどになるが、雪が10センチ以上積もったことはない。昨日降ったが積雪という感じはなく、坂道を自動車が朝から走っていた。道路は凍結しなかったのだろう。
私は甲斐の国の出身だが、信州や越後ほどではないにしても、雪はよく降った。朝起きると、一晩であたり一面銀世界になっていた驚きを昨日のように思い出す。八ヶ岳下ろしの、いわゆる甲州の「空っ風」が吹く日は快晴の日が多く、雪の降る日と対照的であった。私は、風は嫌いで、なぜか雪には心が弾んだ。ただ風の日の、糸がなくなり凧が小さな点になるまで上がった凧揚げは楽しかったし、現今では禁止になっているが、雪一面の野原に一筋の黒い帯の如くに見える小川に橋を架けるようにして翳み網を仕掛け、小鳥をそこに追い込んで遊んだ風景は遠い記憶になってしまっているが、鳥追いは凧揚げとは違った獲物を追い込むときの言い知れぬときめきがあった。雪は冷たく、せせらぎの水は温かく感じられ、土手の柳の芽はまだ硬かった。獲物は少なかったが、雪の中の鳥追いは忘れられない雪の記憶の一つだ。
それに私の雪の記憶は母と結びついている。雪の朝、早く起きて玄関先の雪掻きをしている。母の着物の裾裏の赤が雪の白さと相まって私の脳裏に焼きついている。その時、なぜ父は男なのに雪掻きをしないのだろう、と子供ながらに父に対して反感をもったこともその記憶とつながっている。私の母は94歳まで生きたが、最後に会った正月も雪掻きをしていた。
雪にはどこか、日常の感覚を失わせ、無意識の次元に連れ戻すようなところがある。しかし、それは不快な感じではない。雪に覆われた白一色の世界への視覚がもたらすものが、全ての現実性を無化し、聴覚もその意味を判断しなければならない音の刺激から解放され、何も要求されない純粋な心的カタルシスに近いものを感ずるからであろう。私の雪の記憶はいつもそのすべてを包み込み、現実の意識感覚をすべて無化してしまうような奇妙な快感と結びついている。それは、すべてを覆った積雪の風景が、現実的な差異についての価値判断を消失させ、喪失の意識を伴わずに「無償なもの、無垢なもの」への接近を可能にしてくれるからだろう。雪がもたらす名状しがたい快の感覚の発生する根拠は、私の経験からすると、スキーや雪山登山のような雪を手段にするスポーツ競技などの行為とは全く異なった別次元にあるように思える。その事実は新潟県の十日町に住んでいる物書きの方が書いていたことでもある。その頃はまだ、雪が日常の生活と一体になって生きていたからかも知れない。
雪に関する記憶をさらに辿っていくことにする。ドイツの片田舎の村はずれにあった小さな教会の墓地に雪が積もり、墓石も半分埋もれ、積雪はその先どこまでも広がる牧草地をも覆っていた。そのとき雪野原に吸い込まれるような気分になった。現実感覚が消え失せてゆく快い軽さを感じていた。今思い出してもその感覚を取り戻したい気がする。小学生のころ、下校する途中に小さな橋があり、よくそこで雪が降り出し、降ってくる雪を仰いで見ていると、実際自分が地上を離れて空中をどんどん上に登っていくような奇妙な感覚におそわれた。駅に停車している列車の中で、隣の列車が動いているのに、自分の方が動いているように感ずるあの原理と同じなのだが、それは、雪を見ているとまさに、重力が消え浮遊して天に向かってかなりの速さで上昇していく快い感覚だった。私の雪の思い出の中で最も忘れがたいものだ。その快感は、子どもの頃の記憶だから、というだけではなさそうだ。雪に計り知れない不可思議さがあるからに違いない。実感もそれに伴っている。
これは、雪の直接的感覚ではなく、雪についての、雪の不可思議さについての話であるが、これもまた、私の雪に関わることとして忘れがたいものとなっている。高校生のとき、国語の先生が急用で授業に来られず、他のクラスの国語の先生が授業をして下さることになった。授業の内容は全く忘れてしまったし、教科書についての授業をしたかどうかも定かではない。しかし、その時先生が話してくださった「雪女」の話は、未だに私の心の奥底で女性のイメージとして消えることが無い。それはこんな話であった。ある山里の村では、冬の峠をこえて出稼ぎに行く男たちに、村の老人たちが「雪女に出会わないようにな」と言って男たちを送り出すと言う。出稼ぎから帰る頃は夕方から夜になる。気温が下がり、峠を越えたあたりでよく雪になる。男たちは、荷物を肩にして早く帰ろうと家路を急ぐ。すると身体は汗をかく程暖かくなり疲れも出てくる。そんな時、道端の樹の下で若いきれいな着物を着た雪肌の女性が手招きをしているのを見かけるというのだ。女は言う「少しここで休んで行かれなさいまし」、男はその女の手招きと誘いに引き込まれるように近づいていく。すると樹に積もった雪が上から落ちてくる。ほってった身体に雪は快く感じられ、疲れも手伝ってそこに寝込んでしまう事が間々あると言う。翌朝帰ってこない男を捜しに村人が山道を上がっていくと、樹の下に寝ている男を発見するが、男の身体は冷え切っていて動かない。凍死である。村人は言う「雪女に出会ってしまったんや、可哀そうに」と。その先生は「雪女」伝説はこのようにして生まれるのだと言う。私は、その話を聞いて、美しい雪女を想像し、男の哀れな性を感じていた。私の「男の哀れさ」という一種の先入見はこの頃入魂され、またこの話に端を発しているのは確からしい。ずっと後になっても、男の宿命的な哀れさを感ずるとき、いつもこの「雪女」の話を思い出すからだ。雪はいつも私の中では「招く女性」というところで深く関わっているように思われるのも、その雪女の話を聞いた経験から来ているのかも知れない。ホメロスの『オデッセイア』に出てくる、オデッセウスを招き寄せるカリプソーは、雪女の南国版のようにも思えてくる。女性は男を招き入れ、覆い隠すのだ。ただ、私が雪女の方に現実味を強く感ずるのは、日本の風土に育ってきたからだろう。
私の雪の記憶は、スイスのアルプス超えをも思い出させる。イタリアとスイスにまたがるルガーノ湖畔で休暇をとっていた友人に論文の添削を依頼し、それを終えての帰り道で、北イタリアのラーゴ・マジオーレ湖からアルプスのシンプロン峠を越えて車を走らせたことが在った。車を列車に乗せ長いトンネルを抜けて向こう側に人も車も運んでもらうのが普通であったのだが、学生の私には輸送費が結構高く、倹約しようと考えたのである。山越えはかなり大変なことは地図から見ても想像できたが、思い切って決行した。最初は外の美しい景色を眺める余裕があったが、途中から急に道幅が狭くなった。道標を間違え本道から横道に逸れてしまったのか、あるいは頂上に近くなると坂は急になり道幅も狭くなるのかも知れない。それに、9月半ばだというのに途中から雪が舞いだし不安になったが、どうやら頂上らしきところまで辿り着き、ブリークという町の手前の旅籠に宿をとることにした。宿の娘らしき女性がスイス訛りのドイツ語で「あなたが今年最後の客です。明日からこの峠は閉鎖されますから」と言った。顔や服装は思い出せないが、声のきれいな、少女のイメージを残した女性だった記憶はある。9月半ばだというのにもうこの峠は閉鎖されてしまうのかと驚いたものだ。暖炉には薪の火が燃え、周りは樹木の匂いとやわらかい暖かさがあった。その夜は早く床についた。風も無く何の音も聞こえて来なかった。雪の近さを感じさせる、やわらく深々とした静かな夜半だった。次の朝はやはり雪になっていた。幸運にも降り積もるような大雪ではなかったので足止めされることは無かった。私は雪の中をゆっくり慎重に下った。これも忘れがたい雪の思い出の一つだ。もう何年前になるだろうか。
バッハの初期のカンタータに『天より雨ふり雪おちて』(BWV18)という曲がある。それは、復活節前第8日曜日の「天より雨ふり雪おちて帰らずとも、地を潤し、撒く者に種を与え、食らう者に糧を与えるようにと、地を豊かにし生命を生かしむ」という聖句から来ている。短いカンタータだが、最初の「シンフォニア」は屈指の名曲だと思っている。管楽器はもとより、ヴァイオリンをも使わずヴィオラの四声部とチェロを加えた通奏低音という小さな編成で奥深い曲想に合わせられている。「天より雨ふり雪おちて」という聖句の内容を考えているからだろう。このカンタータの「シンフォニア」が屈指の名曲だというのは、私の偏見かも知れないが、その根拠は、私の空から舞い落ちてくる「雪」への強い思い入れと深く関わっているからに違いない。
昨日降った雪は少なかったが、庭に残っている雪を眺めていると、
古い私の「雪の記憶」が次々と蘇ってきた。それも雪のもつ不可思議な特質なのではないかと、思えてくる。
わたしは最初の赴任地が新潟でした。いまでも雪景色の記憶は鮮明ですね。雪が積もるとなにもかもが白く覆われて、道路とか構築物の境目も見えなくなってしまう。まるで世の中のいろんな約束事があいまいになるかのような不思議な心地よさに浸れますよね。
寒々とした外の様子を見ながら家で石油ストーブ炊いて暖をとっているときの何とも言えない安堵感が懐かしいです。
でも、新潟の雪は湿気を多く含んでいて、とけるとどろどろになって黒く醜い姿をさらしてしまう。あの白い美しさはひとときの姿だったのか、と思えば、これが無常のことわりなのかも・・・などと妙に納得したりもしたものでした(笑)。
九州も、今日明日あたり、久々に雪が積もるのかもしれませんね。
「雪が少なくなった」は確かにあるのかも知れない。雪も、つららも、霜柱も、池の氷も子供の頃に比べてあまり見なくなった。やはり温暖化のせいなのだろうか。北極では氷が解けて海水面が上がってきているという説がありますが、最近、北極圏での雪氷は総重量的には減少していないとの別説がでてきています。
氷は減少しているが雪がその分増えているとのこと。裏を返せば温暖化は進んでいるということらしいです。雪は本当に極寒の地では湿度が低すぎて雪はあまり降らないが、極寒より若干暖かくなって水分を含んだ空気が多くなると雪が降ることになるらしい。
雪は音を吸収する性質があるので、あの静寂が生まれ雪の日の白さと相乗して「現実の意識感覚をすべて無化」するのでしょうか?
ちょっと気になる詩があります。童謡の「雪」の2番です。
雪やこんこ あられやこんこ
降っても降っても まだふりやまぬ
犬は喜び 庭かけまわり
猫はこたつで丸くなる
雪の日に外を犬が2〜3匹走りまわっているのを私は子供の頃はたまに
見かけましたが、最近は見かけることはない。野良犬も少なくなっているのかも知れないが、今は犬も炬燵で丸くなっているのじゃないかと。
「飼い犬」「飼い猫」という呼称からペットに格上げしたからだろうか?
勿論この詩では、犬と猫の性格の違いを対比させるため、わかりやすく表現しているのだということは理解していますが・・・・
なんと!今は夏でも犬がお洋服を着ています。