「古典」という言葉はよく使われる言葉だが、実はそれ自体としては意味を持たないあいまいな言葉なのである。ある限定した領域、あるいは地域、つまり、「・・・の古典」とか「・・・における古典」とかいう何らかの限定がついて初めて意味を持ってくる言葉だからである。「源氏物語は日本文学における古典である」というような文脈で使われるのである。しかし普通私たちは、あまり厳密にではなく、漠然と「古典」ないしは「古典的」という言葉を使っている。「現代ではなく、時間的に過去のもので、その分野では規範的で優れたもの」というぐらいの意味で使っているのである。
私は「古典」という言葉を聞くとなぜかレイチェル・カーソンの『沈黙の春』という本のことを思い出す。私たちがやっている「読書会」なるところで「古典を読む」というシリーズがあり「枕草子」や「徒然草」「方丈記」などを読んでいた時「古典」という言葉はその場では普通に「日本の<古典>文学」という意味で使っているし、実際私もそういう意味で使っていた。それはそれでいい。今でも普通はそういう意味でつかっているのだから、あえてその是非を問う必要はない。ただ私はその時も「古典」ということから、この「沈黙の春」という本が頭に浮かんだのである。なぜだろうか。私はこの「沈黙の春」という言葉に惹かれてこの本を買った覚えがある。吉祥寺か西荻窪の古本屋だったように記憶しているが、確かではない。値段は文庫本の後ろのページに240円と鉛筆で書いてある。昔は古本もそれなりの値段がしていたことが分かる。家に帰って見ると、その本の副題が「生と死の妙薬」となっていた。不思議な気がした。ということは、著者のレイチェル・カーソンという名前も、「沈黙の春」という本の内容さえ全く知らずにこの本を買ったことになる。ここで私の記憶は全く混沌とし、実際どうだったのか思い出せなくなる。しかし『沈黙の春』にはどうしてか「古典」という言葉が私にはついてまわるのである。となるとやはり私は『沈黙の春』の内容に関する知識をどこかで知っていたことになる。
古い記憶をたどってみると「沈黙の春」という表現から来る「鳥が鳴かなくなり、春が沈黙してしまった」という内容に惹かれてきたように思われてくる。今新たにこの本を調べて見ると、原題は<Silent Spring>であり、第8章は「そして、鳥は鳴かず」となっており、そこには、殺虫剤であるDDTを広範囲に散布したところではニレの木は枯れ、昆虫は死んだが、多くの種類の鳥も死んでしまった、という内容が書かれている。自然は沈黙し「静かに」<Silent>なってしまったというのだ。「沈黙の春」が始まったのだ。エピグラムにキーツの「湖水のスゲは枯れ、鳥は歌わぬ」という詩句が引用されている。この本の内容を私はどこかで手に入れたことは確かなようだ。忘れてしまっていたのだ。しかし私の記憶はそこから更に古いものに向かう。DDTという言葉だ。『沈黙の春』にも殺虫剤としてDDTの広域散布の危険性について既に論じられている。私のDDTに関する記憶は、戦後すぐ、小学校低学年の頃、女の子たちが頭に真っ白な粉を吹きつけられていた頃まで遡る。この白い粉がDDTだったのだ。髪の毛にダニやダニの卵が見つかった女の子がそのDDTを散布されたのである。男の子は坊主頭なのでその被害にあった子はいなかった。散布されたあと、白くなった髪の毛をボサボサにしながら俯いてべそをかいていた女の子がいたことを思い出す。当時はそうは感じななかったが、今考えるとひどい話である。妹に聞いてみたら、DDTを頭の毛に散布された友人がかなりいたという。ノミ・シラミの予防のため家の畳のへりにもDDTを散布したのを見たことがある、と妹は言っていた。幸いDDTが女の子の頭に散布されたのはそんなに長い期間ではなかったように思う。その頃から少し間があって「公害病」という言葉を聞くようになったように思う。調べてみると、「四日市ぜんそく」「水俣病」という言葉や「枯葉剤」がベトナム戦争で散布されたのも1960年代の初めである。「沈黙の春」が書かれたのが1962年であるから、まさに時期は一致する。公害による環境問題が一般的に知られ、新聞などにもよく報じられるようになったのもその頃だ。日本で「高度成長期」と呼ばれる時期と重なっている。その意味でも『沈黙の春』は公害や環境問題の「古典」と言っていいように思われる。
ただそれから『沈黙の春』という題名を聞くと、なんとなくソーローの『森の生活』との近親感を感ずるようになることは確かだ。ソーローの『森の生活』は1854年出版されており、その100年後、カーソンの『われらをめぐる海』(『海辺』)が出て1955年にベストセラーになったと、カーソンの遺稿集『失われた森』の解説にある。『海辺』が出版されてその後すぐ執筆が開始され、それが雜誌『ニューヨーカー』に連載され始めたのが『沈黙の春』だったのである。1962年、カーソン54歳だった。カーソンはその2年後、56歳で亡くなっている。『沈黙の春』は最後の作品で彼女の主著であることは間違いない。戦前の1941年、33歳ですでに処女作『潮風の下で』を出版している。カーソンは若い頃から「海」への関心が強く、ドヴィッシー作曲『海』(ラ・メール)のアルバムの解説を書いたり、演奏会の昼食会でこの曲についての講演などもやっている。彼女の書く文章は内容としては自然ー科学に関するものだが、叙情的な感じが強いことは確かである。『われらをめぐる海』を書きながら、彼女にはドヴィッシーの「海」が聞こえていたのかもしれない。そこがまたカーソンの魅力なのだ。
ソーローの『森の生活』について私が知ったのは高校二年生の夏休みだった。英語の課外授業で<Silent Spring>の一部がテクストとして使われたのである。講師は、名前は忘れたが東京から来た予備校の先生で、普通の英語の授業より話が面白く、興味が持てたことを憶えている。退屈な普段の学校生活ではなく、自由な自然の中での生活に憧れたのもその頃だったので、ソーローの「森の生活」に憧れを持ったのかもしれない。憧れはあるが、今の私は「森の生活」的な隠遁生活がいいとは思わないようになった。おそらくカーソンもそう言うに違いない。そういう生活では「沈黙の春」的な現象に対抗できないし、その解決にも役立たない。自然と人間の関係は人間の意識、それが善意であれ、そのような単純な予定調和的な関係になっていないからである。そこは難しいところだ。
さらに時代が下ってきて気になりだしたのは『沈黙の春』のなかにある「目的が悪いのではなく、手段が悪いのだ」という考えが述べられているくだりである。そのころ同時に「目的は手段を神聖にする」という文章に出会っていたからである。矛盾した内容を主張しているようにも聞こえるが、「古典」と呼ばれる書物においては一見矛盾したように響く事柄がうまく併存して、二つの事柄がそれぞれの言い分を主張しながらも、読者を納得させてしまう何かがあるように思う。これは私の経験である。『沈黙の春』にもそれを感じている。カーソンはそれを「自然の均衡(バランス?)」と名づけ、それは最近の科学者が言うように古い自然観ではないと言っている。新たな発見があろうとも、科学はそのバランスを崩してはならない、とカーソンは言っいるのである。なぜなら「自然は逆襲する」から、とも言っているからである。
今朝の7時のニュースで、この22年間で「海水温が7度上昇した」(おそらくこれは、「水深が7cm上昇した」の間違いか(?))、地球が温暖化しているのはそれが原因かもしれない、と言うようなな内容が放送されていた。以前海水温が1度上昇すれば北極の氷がかなりの量溶けると言って、氷の山が崩れ落ちる映像が流れたことがあった。それからすれば7度上昇とは破格なのではないかと、素人の私など考えてしまう。地球の温暖化現象は経験的にも感ぜられる気がするが、その因果関係の本当のところは、実際私たちにはよく分からない。レイチェル・カーソンは彼女の最初の著作として1956年に『われらをめぐる海』<THE EDGE OF THE SEA>を出版している。そこですでに「地球の温度調節」に触れ、エル・ニーニョ(現象)について語り、海が地球全体に及ぼす影響について細かく論じている。
私が『沈黙の春』をあえて「古典」と呼んだのは、自然と人間のある意味で敵対する関係を自然現象の解明の糸口として、自然科学の立場からまともに論じた書物として先駆的だったからである。しかし、それだけでは「古典」とは呼びがたい。カーソンの書物、特に『沈黙の春』には科学者としての自然現象の叙述の仕方の他に、自然と人間との関係を科学的な因果関係から捉えるだけでなく、その現象に対する人間の感情の動向や幸不幸にかかわる一種の価値判断を含意して書いていており、そこがこの書物の大きな魅力になっていることである。確かに深刻な問題が提出されているが、どこかこの書物には開放感があるのである。不思議な感じがする。そこがなければ、ベストセラーが長く続いたからといって「古典」とは呼べない。カーソンの自然に対する人間的な深い関係は<Silent Spring>「沈黙する春」「静かな春」という書物の題名に表れている。「沈黙する」あるいは「静かな」という言葉は季節としての「春」の客観的表現には直接つながる言葉ではないからである。しかし、その題名を聞いた読者は、カーソンの自然に対する思考ないしは自然に対する愛着を直感的に感じ、書物を読んだのちにもその直感は正しかったと感ずるし、裏切られたと思う人はいないに違いない。どのような分野の書物であれ、それが曲がりなりにも「古典」と呼ばれるためには、政治・経済・科学などの分野においてもその専門分野の叙述された内容が優れていることだけでなく、その内容が表現された文章が何らかの形で美的であることが要請されるように思われる。文章が美しいということは、一般化して言えば「文学的」ないしは「詩的」な文章になっていると言ってもいい。『沈黙の春』はその代表的な作品といえる。古典は、時には書かれた内容は古くなることはあっても、その本を読んだ後の読後感は決して古くならない。古典は時機を逸することはないのである。発端と終焉を同時に書いているからであるが、その文章の性格によるところも大きいように思う。カーソンが特に意識はしなかっただろうが、その文章にある種の美しさや開放感を感ずるのは今述べた理由によっているように思われる。
長野県下諏訪町に住んでいる友人から、この夏は蝉の鳴き声が少なかった、と書いてきた。
「沈黙の夏」が来るのだろうか。

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