今年の夏は暑かった。毎日のように新聞やテレビに「猛暑」とか「酷暑」とかいう言葉が飛び交った。気象庁が今年の夏を「異常気象」と名づけて一件落着し、皆それに納得した。今夏は「異常気象」だったのである。しかし、「異常気象」と呼ばれる理由を考えると、ことはそう簡単ではないことがわかる。もし来年またこのような現象が続くなら「異常気象」と言う言葉は、今夏とは異なった現象の名前となるだろう。通常が異常になり、異常がいつの間にか通常になってしまう。とすれば、そもそも「異常」などと言うことに意味があるのだろうか。もしそれに意味があるとすれば、ああ、やっぱりそうだったのかと、その時、事後的に確認するときであろう。しかし、その納得は動かない固定した意識としてとどまることはないに違いない。人間は変わってしまうことに驚き、一時はある抵抗はあっても、それが続くとそれが普通のこととなり、それ以上は考えなくなってしまうらしい。人間はこれまでそのように適応して生きて来たに違いない。まさに「時の流れに身をまかせ」て来たのである。しかし、現今そうは行かなくなってきた感がある。限界状況に出会った時が問題なのだ。「限界状況」とは「もはや慣れることが出来ない」事を言う。その時、基準、規則、規律と言った概念自体が意味を持たなくなり、抵抗は愚か「成るように成るさ」という達観や諦めさえ意識から消えていくだろう。そんな時が近くに来ているとしたら。
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