最近ラジオをほとんど聞かなくなった。聞くのは車を運転するときぐらいだ。テレビもあまり見なくなった。面白くなくなったからだ。見るとしたらNHKの総合と教育の二つが主である。民放を見るのは、サッカーや野球中継のときぐらいだ。だが、この間ラジオを聞いていて結構楽しく、またラジオが復活してくるかも知れないとさえ感じた。このような傾向は、私個人だけのものだろうか。メディアの在り方に変化が起こりつつあるのかもしれない。
最近のテレビ放送の傾向がどうしてもいいとは思えなくなったのは、私が歳をとったせいか社会の動きについていけないのかも知れない。そもそも以前から、ラジオでもテレビでもコマーシャルが途中で入るのが苦手だった。その点NHKにはそれがないからいいと思っていた。しかし最近のNHKは民放と殆ど変わらないほど自分の番組の予告を民間放送のコマーシャルのように入れるようになった。ニュース番組でのアナウンサーの態度も、全てとは言わないが、聴衆に媚びたリ、受けを狙ったりして品がなくなってきた。NHKは公共放送という面目で徴収される料金の支払を止めたいと思うほどだ。戦時中の放送、旧ソ連、北朝鮮などの報道のような国家権力による規制がいいと言っているわけではないが、自由という名で覆い隠された、資本による資本集積のために、統計学や心理学を駆使して聴衆の欲望を刺激し助長する操作がいいとは思はない。その罠に私たちがまんまと嵌められてしまったからだが、その結果、コマーシャルが一番面白い、という人も沢山いるそうだし、コマーシャルに掛ける金額は、本編にかかるお金より多い場合が多々ある、という話しも聞いたことがある。メディアなるものの性格とその影響を実感させられる。確かにメディアは、原因と結果の中間にあるmediumであり、自由な領域であり、自由に振る舞える場所でもあるのだが、それゆえに、常識・品位・伝統などが無視されていい事にはならない。メディアとしてのテレビの時代はもうすでに終わろうとしているのかもしれない。確かに、最近のテレビ放送を見ているとその役割は実際に卒わってしまったようにさえ見える。テレビのコマーシャリズムは生き延びるだろうが、少なくともそのアクチュアルな感覚はほとんどなくなって来ている。放送番組が時代とともに変貌していくことは、いわゆる「時の流れ」として必然性があることは確かであるから、その手段の衰退と変貌は当然の成り行きなのかもしれない。ただ、テレビよりラジオのほうが長生きするような気はする。それは自動車より自転車のほうが早生まれだし、長生きするように思えるのに似ている。自動車は自転車を追い越したように見えたが、最近は自動車のほうが自転車の役割に後戻りするような流れがある。一人、あるいはせいぜい二人乗りで、細い道でもゆっくり走れ、駐車にも場所を取らないような自動車の開発が進んでいるという。「ゆっくり急げ(festina lente)]とか「急がば回れ」という言葉の真理は、時代を超えて現代でも生きているからに違いない。
個人的なことになるが、「私の本棚」という長く続いた番組が2008年に終わってしまったことは残念なことだ。1949(昭和24)年以来続いてきた番組だ。本や新聞が文字媒体からデジタル化された電子書籍に移行する時代になったのだから「本棚」などは家庭の部屋から消え、言葉としても古臭いものになるのだろう。しかし「私の本棚」という言葉は、私の記憶から消えることはないし、その言葉にいいしれぬ郷愁を感ずる人も私だけではない、と思う。
私が物心ついた1946(昭和21)年、戦後すぐから放送されていた「尋ね人の時間」という番組があった。戦後消息のわからなくなった方々の情報を提供しあう番組だった。旧満州、、、駅で別れたまま連絡が取れなくなっている叔父、、、の消息をご存知の方は、次の住所までお知らせください、といった内容が毎日のように放送されていた。その番組担当のアナウンサーの声には特殊な響きがあった。放送される内容が重く緊迫感があったから自然とそのような声や読み方になるのだろう。この番組は私の少年時代の記憶として、決して消えるものではない。それも1962(昭和37)年で終わったようだが、見方を変えれば、結構長く続いていたのだ、とも言えよう。1952(昭和27)年に始まった「昼の憩い」という番組だけは今も続いている。12時過ぎに流される、あの農村風景にも似た音楽を聞いていると、今でも戦後を思い出すのは私だけだろうか。毎週日曜日に放送される「のど自慢」なる番組は長く続いている。これはラジオからテレビに移行し、カラオケと連携して人気を持続している珍しい番組である。ただ、歌われる歌は変化し続けていても「のど自慢」という言葉を聞いただけでは時代感覚が伴わないからいいのかも知れない。
私の本棚は、置き場所が狭くなり、今三箇所に分散してしまっていることもあって、どこにどの本が所蔵されているかほとんど分からなくなっている。今はそれをきちんと整理し直そうという気もなくなってしまったが、「私の本棚」という番組が流れていた時代とその言葉が伝えていた印象が私の記憶から消えることはない。