暑かった夏が懐かしいように、11月になってしまった。
最近よく、同級生や友人、昔会ったことがあったことがあるが、このところずっと会わずに過ごしてしまっている人が気になるようになった。その人は今はどうしているだろうか、またお会いしてみたいと思うことが多くなった。そこには「もう一度」という感慨が作用していることは間違いない。それに、みんなどこで、どのようなことを考え、どのように生活しているのだろう、と考えるとその思いは何か特別な切実ささえ感ずる。この人は、あの人は、かの人は今?

しかし、今日ここで書きたいと考えていることは、以前一度お会いしたことのある人物についではなく、「もう一度」という言葉とは無縁だが、「どうにかして」会いたい歴史上の人物とでも言うべき著名な人物についてである。若い頃から、自分が影響を受けた思想家、またそれに感激し刺激を受けた文学者や画家達に、それらの人たちは実際どんな人だったのだろう、という興味とも疑問とも言える奇妙な思いをもつことが多かった。その人物の詳しい『伝記』を読んでみてもその思いは消えなかったし、さらに今になって、やはり直接会ってみたいと思う人がたくさんいるのだ。それが不可能なことが自明であっても、その人に実際会ってみたいという思いが軽減されることはないばかりか、いや、その思いは今増加するばかりである。
「若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう」。この言葉は『新約聖書』の「使徒行伝』(2章17節)に預言者ヨエルの預言として記されている言葉である。昔から、老人は夢を見るらしい。私もここで夢を見てみよう。
歴史上の人物で会ってみたい人は無数にいる。その中で「今」「ここ」で会えるなら会って話を聞いてみたい人物は、モーツアルトとニーチェだ。実際合うことが出来だら、途轍もない経験が出来そうな気がするからだが、何故かよくわからない。「面白そうだから」というのが実のところかも知れない。さらに言えば、著名な人物の中でも、この二人は「偉人」と言う言葉はなにか似合わない感じがするからである。いわゆる「偉人」ではなく、実在した人物でありながら、奇矯で物狂った人に会ってみたいのである。この二人はそれにふさわしい人物であることは間違いない。
「モーツアルトは天才」というのは最も普通な表現だし、常にそのように言われてきた。それを否定するつもりはない。ただ最近強く感ずるのは、「モーツアルトは天才」と言っても、何も言ったことにならない、ということである。それに、もしモーツアルトに会って色々話を聞いても、モーツアルトの音楽の本質や内実が分かるとも思えない。しかし、いまここでモーツアルトという人物に実際合ってみたいだけである。それだけである。モーツアルトの音楽の最も重要で、他の音楽家にないものは「速度」である。モーツアルトは、早いとか遅いとか、アレグロとかアンダンテとかいう速度の概念自体を可能にさせている「絶対速度」「至上な速度」、カント的に言えば「速度自体」、フロイト的に言うなら「エスからの速度」の体現者なのである。しかしそういうことはどうでもいい。あの音楽を書いたモーツアルトに会って、実の顔を見、直に声を聞きたいてみたいのである。「猛烈な速度で楽譜を書いている」モーツアルトの姿をこの目で見たいのである。それが切実なだけである。「レクイエム」はどのように中断されたのか、その時のモーツアルトの実の姿は?実の姿はいわゆる「天才」などいう言葉とは無縁な「狂者=凶者=興者」だったのではないか。会いたいという切実さがさらに増してくる。
ニーチェの場合もそれに似ている。ニーチェ自身が言っているように、最後の作品「この人を見よ(Ecce homo)」を読めば、ニーチェについて何事かは分かるかも知れない。モーツアルトが「速度」ならニーチェは「強度」である。「病気の強度」「健康の強度」「狂気の強度」。「弱いから強いのだ」というパウロの絶対矛盾と逆説を踏襲した「強さの強度」。強度の車輪は転がりながら回転する。ワイマールの高台にある妹の家の最後のベットで永遠回帰に近づいた「生と死の強度=休息の強度」「静かな強度」それがニーチェの強度の全てだ。しかし、ここで語りたいのは、発狂寸前のニーチェにトリノのポー川にかかる橋の上で会いたかったということだ。どんな足取りでポー川の土手を散歩していたか、鞭打たれている馬に泣きながら抱きついたニーチェ、下宿の娘イレーネとのピアノの連弾を弾いて楽しんでいるニーチェをこの眼で見たかった。ライプチッヒの精神病院からナウムブルクの母親の家に帰って、家のヴェランダから「エピクロスの園」と自ら名づけた隅の庭を静かに眺めているニーチェに「今何考えてるの」と声をかけたかった。それらが何よりも切実だ。「伝記」や「物語」ではなく、実のニーチェに会いたかった。
老人は夢を見る。しかし「夢」以上にリアルで切実なものがこの世に存在するのだろうか。

3 Thoughts on “会ってみたい人

  1. いつもお世話になってます。
    異様な才能というか創造者というのは、人格破綻に近いケースが多いようですね。小林秀雄も、そうとう「はた迷惑な」性格だったそうですが。あるいはドストエフスキーも賭博中毒だったし。
    ニーチェについては知識がありませんが、モーツァルトは偉人ではなく奇矯なひとに違いない、というのは、わたしもそう思います。「円満な常識人・人格者」に書けるような凡庸な音楽ではないですものね。かれももちろん努力も勉強も人並み以上にしているけれど、作品は、かれのなかのいわば悪魔的な部分に突き動かされての創造、というふうにしか思えないですものね。なので、もし会えるとしても、「会わないほうが良かった」と、わたしだったら思うかもしれません(笑
    ゲーテの、このコメントは至言だと思います。
    「モーツァルトはドン・ジョヴァンニを『作曲した』、などとどうして言えようか!『作曲する』?まるで小麦粉と砂糖をこね合わせてつくる一片のケーキかビスケットででもあるかのようだ。・・・それは、部分も全体もひとつの精神から一気に注ぎだされ、ひとつの生命の息吹に貫かれた、精神的な創造なのであって、制作者は決して・・・恣意的な処置を施してはいない。彼の天才の魔神的な精神が彼を支配し、彼はこの精神の命ずることを遂行するよりほかなかったのだ。・・・だから私は、魔神は人類をからかい愚弄するために、ときおりあまりにも魅惑的な個々の人物を生み出してみせるのだ、という考えから逃れることができない。だれもがそうした人物になろうと努力するが、彼らがあまりにも偉大なものだから、だれひとりとしてそこまで到達しないのだ。・・・・モーツァルトも、音楽における達しがたきものとして、魔神によって生み出されたのだ」

  2. masatoshi on 2013年11月14日 at 9:57 AM said:

    宗像様
    ゲーテのいう「モーツアルトの魔神的精神」と言う表現に納得しました。
    が、ゲーテの「魔神的」というのはどのような感じなのでしょうか。原語にあたってみます。ニュアンスが知りたいので。

  3. 念のため、出典を書いておきます。
    エッカーマン「ゲーテとの対話」1831.6.20及び 1829.12.6からの抜粋。
    「だから私は、魔神は人類をからかい愚弄するために、・・・」以降が、1829.12.6の部分です。
    なお、わたしが読んだのは、直接でなく、吉田秀和「モーツァルト頌」からの孫引きです。

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