今年は殊の外寒かった。というより天候の不順さが進んでいることを認識させられた、と言ったほうがいいかも知れない。友人は、最近いわゆる四季の感覚がなくなり、夏と冬だけになったように思う、と言っていた。冷暖房装置が完備されつつあるので、家の中ではかなり温度の調整が可能になってきたことも一つの理由かもしれない。「ここは暖かいですね、外は寒いですよ」という挨拶をよく聞くようになった。新聞には、この寒気は地球温暖化の影響である、北極の氷が大量に溶け始めており、偏西風が蛇行し、寒気が南下していることに影響されているというのだ、と書いてあった。寒いのが温暖化の現象というのは一見矛盾しているようだが、説明を聞くと納得出来る。そう言えば、シベリア地方の凍土が解け始めており、地表が顔を出し始めているところがあり、以前は凍土の中に埋もれていた動物の化石が掘り出され易くなってきた、という記事を読んだことがある。同じ温暖化の結果だろう。
日本は春夏秋冬、いわゆる四季がはっきりしており、古代からその流れに沿って人事も行事も規定されてきたと言われる。子供の遊びもそうだった。しかし、現今は四季の流れの影響が少なくなってきている。なんでもいつでも出来るという意識が支配的になって来ているからであろう。しかもその意識を「進歩」という概念と結びつけている。先進国・後進国などという表現も同じ意識の延長である。最近、「進歩」に対して疑問を呈する傾向もでてきてはいるが、人間の意識はそう簡単には変わらない。無意識的にいつも進歩を要請しているのだ。しかし他方には、変わらないもの進歩などしないものへのあこがれも人間にはある。言葉の繋がりも無意識の産物で、その結びつきを換えたり変えたりするととどこかおかしくなるのである。
私が田舎育ちのせいもあるが、四季の移り変わりは回り来る時間の表れで、「ああまたやってきた」という安心感と喜びである。ただ最近、大学などで、学期初めを10月に変更しようとしたらどうか、という提案がなされている。ヨーロッパやアメリカでは大学などでは、秋が新学期のところが多いのでそれに合わせようということらしい。それに合わせることにはそれなりの意味があるとは思うが、私個人は心情的に賛成しかねるところがある。日本では三月卒業四月入学という学期初めが定着しているし、日本の四季に沿ってそれが慣習になったのだと推測される。それに合わせてか、予算などの決済も三月に行われる。その結果三月に卒業式、送別会などが行われることが多い。三月はそれ故かなんとなくさびしい季節である。そんな感じを持つのは私だけではないようだ。それも、三月が「別れの季節」だからであろう。それに、別れの季節が春だというのがいかにも日本的なのである。明治初めに出来た学校制度で行われた、いわゆる卒業式に歌われる「仰げば尊し」という唱歌があるが、その歌詞の最後は「今こそ 別れめ いざさらば」と三回繰り返される。まさに別れの歌なのである。作曲者は特定できなかったが、アメリカで歌われていた唱歌だったことが分かってきた、という。歌詞はもちろん、明治期の最初日本語でつけられたものである。最近は、歌詞が文語調で古く、内容も民主的でない、などという難癖をつけられて歌われなくなった。しかし私はそうは思わない。この歌を卒業式のとき歌って、心からあるいは自然と涙を流した生徒や学生はいかほど多くいたことか。当時は特別遊ぶ場所もなく学び舎での学校生活しか楽しい場所はなかったように感じた生徒には、卒業式に歌われるこの別れの歌は涙の出る悲しい響きがついて回っていたのである。このような伝統はやはり守るべきではなかろうか。今でも春三月この歌を聞くと別れの情感が込み上げてくる。それだけではない。そもそも歌のなかで、春と別れが結びつくのは日本古来のものであろう。それは現在にまで続いているように思われる。「春なのに お別れですか、春なのに涙がこぼれます、、、」(『春なのに』中島みゆき/詩・曲、柏原芳恵/歌)と言った曲にそれは引き継がれているように思えてくる。
四季の流れから言えば、三月を過ぎ四月にると春は明るくなってくる。どうしてなのだろうか。
「桜咲いたら一年生、、、」。四月は「別れの季節」の3月を経て、「出立の季節」となる。ここでも、学校制度の学期初めを9−10月にしたら「秋風吹いたら一年生、、、」のようになり、やはり日本の風土には馴染まない。ということは、季節という概念は、自然の流れと人事・制度が一体となってできてきた概念というのが正しいのかも知れない。人によってその感じ方のニュアンスはそれぞれ微妙に違ってくるだろうが、春夏秋冬という季節に共通の何かがあるように響くのはそのために違いない。「紙ふうせん」という人達が唄う『冬が来る前に』(後藤悦二郎/詩、浦野 正/曲)という曲があるが、ここで「冬が来るまえに」でなくては駄目で、他の季節では曲想が合わなくなる。たとえば「春が来るまえに」と言ったら、どこかおかしい。あまりそうは言わないということなのだろうが、日本語は「詞と辞」の二つの言葉の連関から成り立っているのだが、詞と辞の関係はどこかで密接につながっており、「、、なのに」「、、まえに」という辞に当たる言葉によってあとに来る詞を導いて來る「カササギの渡せる橋」を用意しているようにも思えてくる。特に春夏秋冬のような季節に関しての表現などは、多くの歌人がこれまで経験して来た言葉の歴史的な繋がりから自ずと規定されている意味合いが強いのかもしれない。そうなると古文で言う「枕詞」なども同じ原理で結びついているように思えてくる。「冬なのにお別れですか」でも「夏なのにお別れですか」でも「秋なのにお別れですか」でもやはりおかしいのである。その微妙な差異から、長いこと積み重ねられきざみ込まれてきた年輪の産み落とした言葉の足音を聞くように要請され、その音を聞く造作を養うことが必要不可欠であることを、この春強く自覚したいと思った。
ものすごく共感します。ぜったいに失いたくないのは、こういう感性だと思います。
冬の厳しい寒さから解放されたときは、愛する人とのわかれのとき
寒さが厳しく身が縮む季節になるまえにいまいちどこころの高揚を感じたい
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このような感覚は、日常の生活感覚と極めて親和性が高い。これらは論理的な思考や功利的な生き方とは無縁なものですが、ひとをひとたらしめているものは、このような、論理では説明できないものだと思います。
20世紀以降に流布した唯物論的な思考が、ひとびとの倫理観を混乱させてしまっているのは多くの人の認めるところだと思いますが、そのようなある種の退廃からじぶんの精神の健全性を守る、という点でも、論理ではなく、こころの反応への感性のアンテナをさび付かせないように心掛けたいと思います。