これから書くことは、個人的な問題で書くに値しないことだろうと思いますが、今になって直接感じさせられるようになり、私にとって重要な課題になって来たことを書かせていただきたいのです。話の中心は、昔から言われてきたように「世間様に顔向けが出来ない」ということの意味の理解と、「自分がいかに無能力であったか」という事実の自覚が遅すぎたことへの悔悟です。それならあと少しの人生をどう生きたらいいのか、という最期の難題に取り憑かれての困惑がそれに続いてやって来ているので、さあ、これからどうしたいいのか。そんなことを過去から引き続いてきた事実とこれからの生き様を考えたら「すみませんでした」と世間とそこで関係した人に、事あるごとに言い続けるより他に私には残されていないように思えてきたのです。太宰治は「生まれてきてすみません」と書いて自殺しました。自殺さえ出来ずに、その勇気さえなく、傲慢にずるずると生きて来てしまった私にできることは何か、まだ何かが残されているのか、誰か助けてくれる人がまだいるのだろうか、そんなことを、恥の上塗りの覚悟で書いてみたいのです。
今この歳になって思うことは、まず自分は結局「世間知らず」だったという事です。もちろんこれには能力がなかった、という重要なことが付随していることは当然ですが、ここでは、自分の周りばかり気にしていて、自分の外の世界をあまりにも知らなすぎたということです。それが良かったのか悪かったのか一概には言えないかも知れませんが、私が生きてきた分野や環境が狭かったこと確かです。子ども時代から成人として活動していた時期、また現在の老後までその同僚を含め狭い分野に限定されていた、と今になって思うのです。すべての分野、すべての環境などを全て網羅してきた人はそう多くはないとは思いますが、私の場合それが強く私の意識を限定してきたと反省のような、後悔のような後には戻れない心境を感じています。あるいは逆に、色々なものに興味を持ち過ぎたのかもしれません。それ故、一つのものに集中できず、何も最期までやり遂げられなかったといったほうがいいかもしれません。いずれにしても、中途半端な人生を送ってきてしまったことは確かのようです。
私が接した周りが狭すぎたということについて:私の場合、父母兄弟、叔父叔母がほとんど教育関係で働き生活してきた人が殆どだということもあります。いわゆる政治(官僚や役所勤務など)、経済(会社役員・勤務や商店経営など)に従事してこられた親戚の人が極端に少なかったのではないか、と思うのです、弁護士や税理士、文化人(音楽家や画家など)やジャーナリストもいなかった訳ではありませんが、数が少ない上、その職業に就いていて普段話が出来るような親戚の方がいなかったのです。それに経済的にはいわゆる中流で、極端な貧困家庭も富豪もおらず、それらの特殊な家庭の内実はほとんど分からず終いでした。それにその狭い生活環境を乗り越えていけるような能力に全く欠けていたのがそれ以上に私の限界だったと今では強く感じています。他の人の話を聞いていると、自分の生活環境以外の世界を覗き見、その領界についての経験や知識をそれなりに身に着けています。いわゆる「世間」について知っているのです。私はと言えば、自分が属する生活環境を掘り下げとことんそれに徹してそこを伸ばしていき、他人から見ても突出した域にまで達する苦心や苦労を全うすることが出来ない、努力不足と不徹底さに甘んじてしまう弱さとそのように見せようとする狡さだけが現実になっていったように思うのです。

ー「世間を本当に知るためには、徹底した自己犠牲と他者への前向きな愛情が必要だし、時には馬鹿にされ卑下されても我慢する忍耐が必要なのである。形だけの権威や偽の知識をいくら持っているように見えても、それでは所詮くだらない人間でしかなく、その場その場を上手にくぐり抜けていくよずるい態度であり、結局最期は信用されない人間に陥っていくだけである。私はそのような道を歩き続けてここまで来てしまった。だが、早く死ぬ勇気もなかった。あとどれほど生きられるかわからないが、今になって出家も出来ず、悪者になって世間に恥をさらす勇気もないなら、どうしたらよいのだろう。「善人なおもて往生ををとぐ、いわんや悪人をや」を傚っても、「悪人」にさえなれない私が往生する方法がまだ残されているのだろうか。嘘で固まった狡い人生を過ごしてきた私がこれから出来ることがあるのだろうか」ー
今はそれに対する私にできる唯一のことは「すみませんでした」と言い続けること以外にはないように思えてきたのです。そんことが出来るはずがないし、言っても意味がないという疑問は残っていますが、ここでそれしかないと考えざるを得なくなったのです。
しかしこれからが難しい。まず誰に向かって「すみませんでした」と言うのか。太宰のように「生まれてきてすみません」と言っても私の場合あまり意味がありません。何者にもなり得なかった人間だからです。太宰の場合、どこか宗教的にさえ響く感じさえあり、誰に向かって言っているのか漠然としているように思えるところもあります。おそらく直接には父母に向かって言っているように思われますが、その言い方に自己悔悟の念があまり感じられないのは、芥川や太宰には能力がありすでに立派な作家になっていたからでしょう。無能力で無名な人物が自殺しても誰も見向きもしてくれないでしょう。私の場合自殺はもう遅すぎますので、今からできることはあの人、この人といった身近な人に対して、あの時は「すみませんでした」と具体的なこと対してそう言いたいと思うことぐらいです。すでに亡くなってしまっている方には勘弁していただくことにして、あるいは心のなかでそういう意味のことを話せばおそらく許してくださると思うので、それ以上のことは出来ません。特に今直面している方々に「すみませんでした」と伝えたいのです。それには実際に手紙を書いたり、時には電話をかけたりするより方法はないのでしょうか。もう亡くなっていたり、消息が不明な人に対していたりする人達に対してどう振る舞ったらいいのでしょうか、などと考えていると、どんどん時間が立ってしまう。・・・・・。そんな態度こそが許してもらえない理由なのでしょうか。

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