「道」も「路」も訓読みではどちらも「みち」と読み、音読みでは「どう」と「ろ」となり、異なっている。二つ合わせると「道路」(どうろ)となり一般的になるが、それは歴史的には新しい使い方であるようだ。「路」は時には「じ」とも読む。特に前に固有名詞が来ると「じ」と読むようだ。「近江路」「箱根路」「甲斐路」と言った具合に読むのである。そもそも道と路はどのように異なっているのだろうか。私たちはなんとなく理解していると思っているが、その使い方はさまざまである。一応「道」は大きく、公の意味を持ち、「路」の方は比較的小さく、私的な感じがする、この感じは間違ってはいないと思うが、文脈によって様々な変化が加担してくる。それに「径」や「途」も「みち」と読み、さらに複雑にややこしくなる。
例えば、大道芸人という言葉もあるし都大路という言い方もある。廻り道と言うこともあれば、迂回路という言い方もある。道と路の関係はどうなっているのだろうか。勝手な解釈かも知れないが、「道」(どう)と、「路」(ろ)の区別はあるが、「みち」にはどちらの字を当てることも可能なのであるという区別はあるようにみえる。それに「道」の方は、特定の場所から長く遠くまで続くのに対して「路」の方は短く、ある特定の場所の内部だけに限られる。また「道」は抽象的で「路」は具象的な面があるような感じがする。しかし、ここで「抽象的具象的、長い短い、広い狭い」などと言っても、それは客観的な基準ではなく、状況的に相対的で、言ってみれば基準ではなく、その時の気分的な「言い回し」のようなものにすぎないようにも思えてくる。
言葉とは不思議な広がりのあるものなのである。例えば、「路面電車」「路上駐車」とは言うがその時「道」という字は使わない。あるいは「道巾=道幅」あるいは「道草」などのときは「路」という文字は書かない。いろいろな例を考えると、「道」も「路」も「みち」だが、道を「ろ」、路を「どう」とは呼ばないという食い違いがあり、それは基本的には、訓読み、音読みの違いに起因しているとは言えそうだ。しかも、その違いがあやふやになり、その区別に無関心になりつつあるような氣がする。自分のことを考えてもその区別や違いに対して意味だけではなく、感覚的にも遠去かってしまっているのを感ずる。だが、無意識的なところで、その違いを感じ取っているようにも思う。『路地歌を歩く』という文章を書いたときにも同じようなことを考えていたように思う。
「山路を登りながら考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくにこの世は住みにくい。」
(夏目漱石 『草枕』の冒頭)
「山路来て 何やらゆかし すみれ草」 (芭蕉『野ざらし紀行』)
二つとも誰もが知っている文章であリ俳句である。
同じ「山路」と書かれているのに、漱石の『草枕』の場合は「やまみち」と読ませ、芭蕉の『野ざらし紀行』の俳句では「やまじ」と読むことになっている。芭蕉の場合は俳句で「やまみち」と読むと字数が合わなくなることもあるが、それ以上に次に来る言葉、「登る」と「来る」という動詞にその読み方の違いが表れているようにも思える。だが、『草枕』の場合、山路でなく山道でもいい感じがするが、この小説を読むに連れて、やはり最初の出だしは「山路」がいいのだ、と感ずるようになってくる。「この世は住み難い」という山を登りながら考えた事実が、「住み難い」からこの世に住む意味があるのだというように考えが反転していく過程が語られるようになって行く。絵を描こうとしている主人公の「余」が、絵を描くことは人生を全うするのと同じほど難しいことを悟るのと、野武士のような男と離縁した那美さんという女性に出会い心を寄せるが、最期に彼女の実の居場所を垣間見た時、絵を描くことの難しいこと、またその意味をも悟ることになるのだが、山を登るときに観念的に考えたことが、山を降りて里にまでやって来たときに日常生活に戻り、その時考えたことを現実的に実感することができるのだと漱石は言いたかったのであろうと思われる。そう考えると、その反転を可能にするためにはやはり、山道ではなく山路でなくてはいけなかったに違いない。
「箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ」
(源実朝『金塊和歌集』)
確かに「路」という言葉自体に私的なという意味はない。ただ「路」という言葉が引き出してくるものは、大袈裟な公的な理屈や道理のようなことではなく、私的な安心感のような諦めにも似た心の落ち着きの感情であり、その余韻にはなぜか悲しみのような響きがある。社会が強いる苦悩や怒りが消えなくても、大道から横道に逸れて小さな路地裏を歩いて来ると、小さな出来事であってもそれに出合うことによって、一抹の不安は残っていたとしても、何か心が落ち着いてくるのを感じるようなことがよくある。おそらくその時、苦悩や怒りの感情が私的な悲しみとその余韻によって和らげられられるのだろうと思う。そういった心の動きを「路」という言葉が引き出していることは確かのように思われる。
芭蕉の句にも実朝の和歌にも、状況も内容も異なっていても、同じような心の動きが感ぜられる。
わたしは、道=客観的に存在している通行の用に供される地面。路=歩んでいるひとを支える基盤、ないし歩みそのもの・・・というイメージで理解しています。ですから「路」は、それに沿って歩むひとを包み込むという点にひとはこころを惹きつけられるのだろうと思います。
例示された文章ないし短歌も、そのような理解に即して読めそうだし、「路」という字が使われるときに受ける何とも言えない哀感も、「歩み」(=人生)じたいが哀しみの連鎖と不可分であることから来る、といってもそれほど的外れではないような気がします。
ドボルザークの交響曲「新世界から」の2楽章のメロディーから「家路」という歌が生まれたのもとても興味深いと感じます。「帰り道」ではだめで、あくまで「家路」でなきゃいけない。「家に帰る」でなく「家路につく」でなきゃいけない。
そのように思わせることも日本語の偉大さではないでしょうか
(追加)いっぽう、北原白秋作詞の「この道」という歌、これは「この路」では絶対にだめ。「この路」と言ってしまったら、私小説的押しつけがましさ、独りよがりの開き直り的な不快感を与えてしまう。あくまで、じぶんの心情とか思い入れとかとは無関係に存在している「道」でなければ、あの歌に血が通うことはない。これはすごく重要だとじぶんでも思います。
「道路」に似通った言葉には「河川」「計測」「渓谷」などもある。
「道」と「路」は大した違いはなく、前後の文脈からそれぞれの読み手が、書いた人の心情を推しはかってあげることが多様性のある解釈がでてくるとおもっています。
言われるように「文脈によって様々な変化が加担してくる。」し「抽象的であったり具象的な面があったり」「その時の気分的な言い回しのようなものにすぎない」のであって、「言ってみれば基準ではない」とおもっています。それでいて「道」と「路」のニュアンスは微妙に違っている。
以前、「路」は旅(旅行)の意味を含んでいるとおもっていました。
例えば「路銀」「航路」「待てば海路の日よりあり」などがあります。
そう考えると、「山路を登りながら考えた」「山路来て」「箱根路をわれ越えくれば」は旅を連想させる「路」に思われてきます。
しかし、そう断定すると、旅をおもわせる「道中お気をつけて」「中山道」の「道」はどうなるんだろう。また、「都大路」「路地裏」など狭い範囲での郷愁をおぼえる味わい深い「路」はどうしたものかと考えさせられる。
また、「道」はといえば、これまた私にとって大変です。
二つの詩の一部を例示します。
「道程 」 高村光太郎
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
「初 恋」(第4連) 島崎藤村
林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
「道程」の道は、言われるように「抽象的」なものです。「道ならぬ恋」「仏道」にも通じるような思考の中の「道」とおもわれます。「人生行路」なのだと思われます。
「初恋」の道は、二人にとっていじらしくもあり、いとおしい道で「誰がこんな小道をこしらえたのかしら」と顔を見合わせほほ笑むことになるのだろう。すごく思いのある具象的な小道だといえます。
読み手のロケーションの洞察力、観察力、及び今の自分の心持によっていろいろと
解釈できる「道」「路」「径」「途」「倫」なのだとおもいます。
「道路」とはあまり関係ないが参考までに
「自由自在」「日進月歩」「千差万別」「三拝九拝」も使い方がおもしろいと思います。
今年も暮れていきます。
ブログを読んでくださり、ありがとうございました。
またそれにコメントを書いてくださった方にお礼を申し上げます。
おかげさまで、そのコメントのお陰で、自分の気が付かなったことに
新たに気づき、大いに納得するところがたくさんありました。
特に、緒方さん、宗像さんには感謝です。
来年もよろしくお願いいたします。
みなさま、よいお年をお迎え下さい。
「日時計の丘」管理人
2016(平成28)年大晦日