新緑の五月になった。
今日5月4日は「みどりの日」と呼ばれる日だそうである。それで「緑=みどり」というい色について少し考えてみた。
周りを眺めると、田畑や森にさまざまな緑色が広がっている。しかしそこには何種類の緑の色があるのだろうか、濃淡や質感を入れればその数は限りなくある。一度数えたことがあるが、微妙な違いまで入れれば数えきれない。残念ながら、あるいは当然そのそれぞれの緑色を指す言葉はない。特別美しい緑色が見えても、あそこに見えるあの樹の枝の緑というように直接示す外にないのである。つまり他人にその緑色を喚起させようとすると、直に指差すより外にない。言葉では語れないのである。特にこの時期の「緑」は特別に思える。多様な緑が目に留まるからである。染織家の志村ふくみさんに言わせると、染めるのに一番難しいのはやはり緑だそうである。自然に目を向けると、緑はどこにでもあるが「草木の染液から直接緑色を染めることはできない」(志村ふくみ『色を奏でる』)と書いている。緑はやはり特殊な色であるらしい。スタジオ・ジブリではアニメ制作のために七色の異なった緑色を用意しているそうである。その異なった七色にそれぞれ名前をつけているのだろうか。それとも緑1、緑2、緑3というような区別をしているのだろうか。
私の関心はいつも言葉と物の関係である。確かに自然に存在している数限りない異なった緑色に全て名前があるわけではない。しかし私たち人間はその区別を感覚的には認知している。物に対する感覚は言葉に優っているのだろうか。言葉ではその区別が表現できないからである。だが、よく考えると言葉と物の関係は人間においては転倒しているようにも考えられる。どう言う事かというと、確かに無数の緑色のすべてに対応する言葉はない、しかし無数の緑色があると言えるのはすでに「緑=みどり」という言葉があるからである。単なる異なった多様性は決してそのままでは「緑」の多様性には行き着かない。「赤」も「黄色」もあるからである。「緑」という言葉があるから「緑」の多様性に行きつけるのである、「緑」という言葉が先ずあるから、私たちは「緑」に多様な緑があることを感覚的に認知できるのである。緑の「差異」は「緑」の差異なのである。緑という言葉を知った人のみが「緑の多様性」つまり自然にはいろいろな緑の色がることに気付き感動するのである。
そもそも「みどり=緑」という色は不思議な色である。緑は光の三原色の一つである。それは誰でも知っている。ところが、国語辞典によると日本の古代、つまり古代語には「緑」という言葉はなかったらしい。明暗を表す白と黒、寒暖を表す青と赤の四つしかなかった、と言う。「みどり」という言葉が使われたのは平安以後のことだと言われている。緑は青の中に含まれていたのである。色彩としては「緑」なのに「青」と呼ぶ伝統がまだ残っているのはそのためだろう。信号の「青」、「青葉」「青りんご」「青野菜」などなど、それに「若い、未熟な、新しい」という意味で「青」という言葉を使うが、これも自然の、特に植物の若い芽の色からの連想で「みどり」という言葉がまだなかった頃の感性の残滓なのかもしれない。「青臭い」「青二才」「青年」「青春」「青田買い」など。また「緑色」が安全性を表す色として使われるようになったのは近年ではないだろうか。火のような危険物を表す赤との対比で使われるようになったのかもしれない。いずれにしても「みどり色」を安全なものの象徴のように使うのは、文化現象の押し付けのようにも見える。言葉と物とは意味的・論理的な対応ではなく、偶然の対応であり、それを使用しているうちにあたかも意味的な対応関係があるようになってくる、つまり慣用的な対応関係なのである。
ここで絵画などに描かれた「緑」のことを考えてみると、例えば江戸時代の琳派の画家たちは緑を「松の緑」として描いている。しかし、それは京都における出来事であって、江戸琳派である酒井抱一などでは緑に白を含ませた「渋い緑」になっている。そもそも「渋い」とかいう言葉は「粋な」という言葉と相応し、江戸的な感覚であり、京都にはない。京都のほうが派手な原色に近い色を使う。
「緑色」がまさに「緑という色」として、絵画的な緑として意識的に使われているのは、ヨーロッパでは、いわゆる「北方ルネサンス」を開始させたと言われるファン・アイクの作品であろう。それまでの宗教画の重要な場面や人物の衣装は赤と青が中心だった。ファン・アイクはその中に「緑」を描き込んだのである。有名な「ガンの祭壇画」や「アルノルフィーニ夫妻像」では非常に効果的に、「自然の緑」というよりは「ビロードの緑」の色感として使われている。そこでは作為的に美しい「緑色」を使うことによって絵画が自然を凌駕するように描く意図さえ感じさせる。それに対して、緑と青を連結させ、自然を模倣したり再現させるのではなく、自然という存在を、その現実性をレアル(real)に、自然を自然以上にレアルに描こうとしたのが、かのセザンヌである。特に晩年の作品(「庭師ヴァリエ」「水浴をする女達」など 1906)、特に水彩で描かれた風景や人物はその傾向が強い。輪郭が消え、色面だけで描かれている。自然には輪郭などなく色面だけが目に見えているかのようにである。セザンヌも緑色を多用していた、しかしセザンヌの晩年に描かれた絵画的色面をみていると、古代日本語の包括的な「青」を想起させ、新しい「緑」などという色はこの「青」の中に全て流れこんでしまっているかのようである。セザンヌの「青」を意識したであろうピカソの「青の時代」の作品の「青」は自然のレアルさの表現手段というよりは、絵画的なレアルさを意識することによって、逆説的にセザンヌの「青」を模倣しているように見える。ところで、日本で初めて緑色を「緑色」として使った画家は誰だろうか。調べてみたい。
この五月の樹々の緑を見ていると、日本の古代人が「青」という言葉だけを使った意味が看取されてくる。五月は「新緑」の季節というよりは「青葉」の季節なのである。

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