今年も残り少なくなりました。
よく年末に「今年の流行語」などということが話題になる。今年は4つの言葉が選ばれていた。どれもそれなりに今年の世相を映し出している、と思った。今年私が感じたのは、世界がまたとなく変貌し始めたという感覚だった。そこには人間自体が類的な変化に向かっている、大げさに言えば「終末論的」とさえ言えるような状況が来たといった感覚である。「終末論的」などと言っても、その内実はよく分からず具体性を持っていない。ただそこには「深い闇のような謎めいた世界へと没落していく」というイメージがついてまわるようだ。にも関わらず、あるいはそれ故にかいつの時代でも、そのような感覚を持つ人はいたし、現代もいるに違いない。そう考えれば、私だけが特殊だとは思わないが、今年は、人類は「決して解けない問題」を抱えながら長い歴史を生きて来たのだ、という感慨が強くなったことは確かだ。しかも、その「決して解けない」ということが「現今」いろいろな面で顕になってきたように思えてしかたがない。さらに問題なのは「解けないこと」を「解いたかのように」あるいは「解けるかのように」錯覚していることである。まさに「ならぬものはなりませぬ」の認識を欠いているところに問題が在るのだ。
もう一つある。私が今年出会った言葉で最も衝撃だったのは「残酷な価値」という言葉だった。聞きなれない言葉だし、内容も不確かだし、そもそも意味がわからない。しかし私は直感的に、現代流行すべき言葉だと思った。その言葉自体は、大正末期から昭和の戦後までずっと農民運動に携わってきた渋谷定輔という人が書いた詩集『野良に叫ぶ』(1926)の中に出てくる。渋谷は、細井和喜蔵に「おれは「女工哀史』を書く、おまえは『農民哀史』を書け」と言われ、47年かかって707頁もある、日記風に書かれた『農民哀史』(1970)を出版して約束を果たした。当時の細井と渋谷に共通の関心だったのが「残酷な価値」つまり「お金=貨幣」への不条理な顕現の仕方だった。その「残酷さ」が二人に二つの「哀史」を書かせたのである。二人が当時深刻に受け止めた「貨幣の残酷さ」という認識に私は今新たな意味転換を迫られ、その脅迫に屈している自分にどうしようもない哀れさを感じ、その新たな残酷さを見せつけられているような気がする。貨幣はあらゆるところに埋没し、様々な顔を持って現れる。だから、どれが本当の顔かわからない。しかも何時も微笑んでいるような顔でやってくるので厄介なのである。私たちはそのほほ笑みに簡単に取り憑かれる。価値をもたらすような錯覚に陥るからだ。しかし一度取り憑かれたらなかなか振り払うことは難しい。なぜならそれは、わしたちが生きていく上で必要な価値と密約しているからである。更に難しいのはその密約は隠されていて、なかなか気が付かないことにある。例えは良くないかもしれないが、約束・信用、時には愛とも言えるような価値をもたすもののように見えてしまうところが問題なのである。それはファウストの欲望の何たるかを心得ているメフィストの振る舞いに似ている。
わたしがここで「貨幣=残酷な価値」ということをことさら強調したいのは、その価値との密約が実体の無い「情報交換」という形に姿を変え全世界を覆い、速度を早めてまさにグローバルに振る舞いだしているからである。まだ書きたいことはあるが、「残酷な価値」による多様性・個別性を破棄するグローバル化現象だけは避けたいと思う。情報による遠隔操作は世界をますます人間が人類として住みにくい場所に変化させ始めている。だとすれば、その現象は、人間が人間であることを放棄することを強要してくることになるのではなかろうか。今、世界はそこまで来ている。
こんばんは。わたしは、「貨幣という名の価値」の「残酷さ」から逃れるには、貨幣の価値を相対化する視点を失わないでいたいと思います。私のブログのこの記事はそのあたりを意識して書きました。 ↓ (文章上はそのあたりの雰囲気をあえて隠してますが)
http://ameblo.jp/k-ishihara2/entry-11710564485.html
貨幣がもたらした価値が情報だったら、間合いが難しいですよね。情報に距離を置く、あるいは疑うことで見える部分と、ぎゃくに深くのめりこまないと見えない部分がある。あるいは「見える」と思うことでじつは自分が見えなくなってるということがあるのか否か・・・そのあたりはわたしにはまだ分かりません。
またいろいろと教えてください。
コメントありがとうございます。
文章に舌足らずのところがあり、また最後の方は論旨が飛んでいて、分かりにくいことは確かです。もっと長いものを書かなければいけないのですが、貨幣という「残酷な価値」に翻弄され、金権主義に堕ちいって動きがとれなくなっている現代の世相をどうにか意識化する作業を始めなければ、これからどうなってしまうか分からない危機感からの文章とご理解ください。