今年も残り少なくなりました。
よく年末に「今年の流行語」などということが話題になる。今年は4つの言葉が選ばれていた。どれもそれなりに今年の世相を映し出している、と思った。今年私が感じたのは、世界がまたとなく変貌し始めたという感覚だった。そこには人間自体が類的な変化に向かっている、大げさに言えば「終末論的」とさえ言えるような状況が来たといった感覚である。「終末論的」などと言っても、その内実はよく分からず具体性を持っていない。ただそこには「深い闇のような謎めいた世界へと没落していく」というイメージがついてまわるようだ。にも関わらず、あるいはそれ故にかいつの時代でも、そのような感覚を持つ人はいたし、現代もいるに違いない。そう考えれば、私だけが特殊だとは思わないが、今年は、人類は「決して解けない問題」を抱えながら長い歴史を生きて来たのだ、という感慨が強くなったことは確かだ。しかも、その「決して解けない」ということが「現今」いろいろな面で顕になってきたように思えてしかたがない。さらに問題なのは「解けないこと」を「解いたかのように」あるいは「解けるかのように」錯覚していることである。まさに「ならぬものはなりませぬ」の認識を欠いているところに問題が在るのだ。
Read More →

「家居旅心」とは聞き慣れない言葉である。普通の国語辞典には出ていない。しかし特殊な意味を詮索しなければ、なんとなく理解できる言葉である。家に居ながら、旅のことを考えたり、旅に出たような感覚にとらわれたりすることである。どこか旅に出たいなあ、と思うようなことまで含めれば、だれでもが普通に感ずることである。特別な意味があるようには思えない。
Read More →