白州正子さんに「かくれ里」(1971 新潮社)という著書がある。名著だと思う。奈良、京都、近江などを中心に地方にまで足を運び、誰でも名を挙げることのできる著名な場所ではなく、名刹と呼ばれる大きな寺社でもなく、それらの存在に隠れて、ひっそりと佇むように横たわる小さな里があり、そこには無名だが品格があり、自然の美しさと流れ来たった歴史を背負った寺や社が、時の風雪に耐えて今でも静かに生き続け、日本の古くからの信仰を引き継いでいる里がある。そういった一種秘密な場所が「かくれ里」と呼ばれている。それは、自然景観から言っても奥深い感じがあり、世間の娑婆の騒々しさからも逃れた場所であり、まさに「かくれ里」という名にふさわしい場所である、と言っていいだろう。
このブログで私は「街角を曲がり、路地裏を歩く」という文章を書いてきたが、隠れ里と路地裏とはどこか共通点がある。それは、意識の奥底に潜んでいる記憶が、ふとしたことがきっかけで垣間見られる幻と現実が交差するような不可思議な場所だからであろう。
私がドイツ南部の地方で生活していた時、友人が白州さんの『かくれ里』を送ってきてくださり、時あるごとに何度も読み返した。三十年以上前のことだ。私はそれ以来、ドイツの隠れ里、フランスの隠れ里、さらには訪れる場所ごとにそのような場所を探して旅をしていたような気がする。日本の隠れ里と趣は違うが、田舎の山間いを流れる小川にそって山裾に静かに佇むように横たわっているロマネスク風の古い修道院などを訪ねた時など、人里離れた、まさに「かくれ里」の雰囲気を感ずることがあった。私の住んでいた近くにも、昔、そこに温泉が湧いていたという寒村があり、その村はずれで森が始まる境界にはまだ、朽ち果てた修道院の礎石が横たわっていた。その横に修道院にちなんで名前がつけられ、森に囲まれたように養老院が建てられている場所の風情は、「かくれ里」と呼ぶにふさわしい感じだった。「ドイツのかくれ里」という文章を起草したこともあった。どうしたわけか、そういう場所に居合わすといつも静かさと奥深さを感じ、孤独な人なつかしさに見舞われた。そんな場所で時に、黒い服をまとった修道僧や修道女に出会うと、隠れて生きる人間の純粋さとやさしさと美しさを自然に受け入れることができるような思いが生まれてくる。それも自然と宗教が融和した「かくれ里」なればこその現象かも知れない。キリスト教も土着化する。さまざまな地域にキリスト教という宗教が住みついて、その場所や自然と共存して行ったとでも言えようか。本地垂迹現象はどこにでもあるのではないかと思う。
私も一年ほど京都に住んだことがある。学生という身分を忘れ、勉強もせずに神社仏閣をたずね歩いた。白州さんが書いているような山里にある社や寺をも事あるごとに訪れた。特に近江の奥深さと美しさは格別のものだった。まさに日本の源郷のように感じた。フランスの田舎の小さな村の教会や広場やそこを流れる小川にかかる石橋などを眺めていると、そこには日本の隠れ里を想わせるような不思議な感慨があった。そんな時「かくれ里」に国境はないと思ったものだ。ただ、私のような庶民には歴史にまつわる高貴な美しさは遠いところのものであるという感覚はぬぐい去れないものだったが、いつしか「かくれ里」の静かで古びた感覚がどこか「路地裏」にもあると感じ出していた。私にとって両方に共通するものを記憶の中から呼び出したと言ってもいいかもしれない。やりきれないほどの悲しみと孤独感がそこにはあったからである。