古本を好きな人は多いと思う。私もその一人だ。
古本屋街は学生時代から親しんで来た場所である。神田神保町、早稲田、渋谷道玄坂、中央線沿線の高円寺、荻窪、西荻窪、私の住んでいた吉祥寺などなど。そのころは、山手線、小田急線、京王線、西武新宿線などの駅を降りたところの近くにも必ず古本屋があった。旅行先の町でも可能な限り古本屋を回った。かなり小さな町でも、それなりの古本屋がひっそりと本を並べていたものだ。その中に、時には探していた本が偶然に見つかることがある。そんな時は無上な喜びを感じたものだ。この本は山口市の古本屋で40年近く前に買ったものだ、などとそのころのこと、また時の古本屋のおじさんの顔さえ思い出すことがある。
地方の古本屋の主人はたいていかなりのお歳の人が多く、店の奥のほうに、いかにも古本屋の主人らしく静かに座って新聞を読んでいるか、古本の整理をしていた。懐かしい光景である。京都四条河原町に格調高い本がずらっと並んでいた古本屋が何軒あったが、そこの主人はたいてい無口で、本を売ろうとする気配さえ感じさせない威厳のある人が多かったように記憶している。買いたい人は買っていけという風情だった。私の故郷甲府市の北口は夕方になると暗く、当時はいわゆる駅裏といった感じだったが、そこにも二軒ほど古本屋があった。高校の時よく学校帰りに立ち寄ったものだ。今もその古本屋は存在しているだろうか。仕事の関係で福岡市に来た時に、箱崎、六本松、唐人町や大名、西新にも小さな古本屋があった。今は、現存している店もあるが、ほとんどが、歯が欠けるるように消え、ほとんど見かけなくなってしまった。おそらく、ブックオフなどのような本の売買形態に取って代わられたのであろう。
古本屋さんが急激に減ってしまったのははいつごろからだろうか。古本屋の姿も同時に一変してしまった。インターネットで古本がたやすく買えるようになったのが大きな原因だろう。かっては店頭で売っていた古本を「日本の古本屋」とか「スーパー源氏」とかいうウェブサイトに登録し、全国に販売するようになったからであろう。アマゾンの仲介販売も大きい。そもそも店頭がなく、ウェブ上の目録と倉庫だけという古本屋が多くなったという。青森県の森に近い寒村に古本屋ができた、という話を聞いたことがある。それも悪くなかろう。
私も何年か前から、古本をネットで買うようになった。何しろ便利なのである。ほしい古本がほとんど手に入るし、本が届くのも結構速い。日本全国から、洋書なら全世界から集まってくる。こんなとき、世の中は変わるものだと、つい思ってしまう。時は流れ行くのだ。
しかし、古本には古本の匂いのようなものがある。それは変わらないような気がする。新本には新本の匂いがあるが、古本の匂いはカビ臭いような、人の手あかがついたような独特の匂いがある。古本屋の棚に長く置かれていた湿り気が残っているような匂いとも言える。十年ぐらい前に、久留米市の石橋美術館の近くの古本屋の片隅に埃がかかったように、一冊の厚いドイツ語の洋書が置いてあった。背は皮が貼ってあり、中はいわゆる髭文字の活版印刷で、ずっしりと重い本だった。内容は、1914-18年の第一次大戦の記録と思い出(Erinnerungen)を、地図入りで克明に記したものだった。私はその本を買った。値段は憶えていない。ページを繰ると、土臭い印刷の匂いがしたからである。しかも、始めの見開きの白いページに「大正十年七月一日 於伯林求之 00浩平」と万年筆の記載があったからでもある。00のところは達筆の草書体で読みにくい。私は、この00浩平という人は、100年ほど前の大正10年にベルリンにっ行って何をしていたのだろう、久留米市近郊の方だろうか。もう亡くなっているだろうから、その子供あるいは孫の方から、その方の過去の消息を知りたいと思っているが、まだ果たしていない。
メールで古本を買うようになってから、ときどき古本屋の主人から、その本についてのいわれや内容についてのお手紙をもらうことがある。郵便で送られてくる包装の中に手紙が入っていることがあるのである。その本の内容に関しての感想のようなものから、その古本屋がある都市やその地方にまつわる話が多い。これは以前にはなかったことだ。直接店頭ではなく郵便や宅配便で買うようになったからである。それもまたいいことだと、言うべきかも知れない。
それにまた、古本には著者の「謹呈」という文字や付言が書かれていることがあったり、赤線が引いてあったりする。線が引いてあったり、書き込みしてあったりする古本は売れない、というのが常識らしいが、私は傍線が引いてあってもあまり気にならない、かえって、以前にこの本を所持していた人が、読んで重要と思ったところ、感じ入ったところなどが分かるし、文字の書き込みにも興味がある。時にはきれいな栞や簡単なメモが書かれた紙片ばかりでなく、手紙のようなものが入っていることさえある。紙幣が紙に包んで挟まれていたことさえあった。私は、そういうことも含めて、古本には「匂い」があると言っているのである。
これからも、新本もいいが、静かに古本の匂いを嗅ぎながら、古本を読み続けたい。