「現代の日本語再考」、興味深く読ませていただきました。 確かに、横書きの頻度が多くなったことが変なカタカナ文字や短縮言葉の増加に拍車をかけたと思います。そういう文章を縦書きにしたら不協和音的違和感を覚えますけれどもしらずしらずの間にこの現実に慣らされ慣れきっている自分がいます。 将来、国語の教科書が横書きになることを危惧します。(勿論、杞憂です) ここでは、言葉の変遷に少し関連して私の勘違い、勉強不足を述べておきます。 若い人たちがよく使っている「全然おもしろい」「全然おいしい」「全然かっこいい」の「全然」の使い方です。これらの使い方は慣習としてまちがっている、 「全然」ときたら末尾は否定のことばを伴うのが日本語として正しい使い方だと長い間思っていました。けれども夏目漱石も全然+肯定をつかっていました。「坊ちゃん」のなかで「生徒が全然悪いです」と。森鴎外もあるそうです。 「全然」とは「非常に」の意味で、コギャルが使う「チョー」の感覚なのでしょうか?最近は辞典でも「全然+肯定文」を肯定しています。 それでも、私は「全然+肯定文」を否定したいと思います。それはこのブログに書かれているように『日本語として美しいかどうか意識的に判断』した場合、私はどうしても、脳が拒否反応を起こしてしまいます。 『無用なカタカナの乱用』は同感です。私はカタカナの乱用は次のように思っています。一つは教育のステイタスとして。一つはハイクオリティを感じさせるとして。両方とも「上等舶来」のレガシイによるものでしょうか?カタカナをならべてしまいました。 日本語の美しさを認識しながらも「言葉の変遷に身をまかせ」ていくのでしょうか?
緒方宏司より 「現代の日本語再考」、興味深く読ませていただきました。 確かに、横書きの頻度が多くなったことが変なカタカナ文字や短縮言葉の増加に拍車をかけたと思います。そういう文章を縦書きにしたら不協和音的違和感を覚えますけれどもしらずしらずの間にこの現実に慣らされ慣れきっている自分がいます。 将来、国語の教科書が横書きになることを危惧します。(勿論、杞憂です) ここでは、言葉の変遷に少し関連して私の勘違い、勉強不足を述べておきます。 若い人たちがよく使っている「全然おもしろい」「全然おいしい」「全然かっこいい」の「全然」の使い方です。これらの使い方は慣習としてまちがっている、 「全然」ときたら末尾は否定のことばを伴うのが日本語として正しい使い方だと長い間思っていました。けれども夏目漱石も全然+肯定をつかっていました。「坊ちゃん」のなかで「生徒が全然悪いです」と。森鴎外もあるそうです。 「全然」とは「非常に」の意味で、コギャルが使う「チョー」の感覚なのでしょうか?最近は辞典でも「全然+肯定文」を肯定しています。 それでも、私は「全然+肯定文」を否定したいと思います。それはこのブログに書かれているように『日本語として美しいかどうか意識的に判断』した場合、私はどうしても、脳が拒否反応を起こしてしまいます。 『無用なカタカナの乱用』は同感です。私はカタカナの乱用は次のように思っています。一つは教育のステイタスとして。一つはハイクオリティを感じさせるとして。両方とも「上等舶来」のレガシイによるものでしょうか?カタカナをならべてしまいました。 日本語の美しさを認識しながらも「言葉の変遷に身をまかせ」ていくのでしょうか?
ご無沙汰です。チョロンコです。 貴殿のような格調の高いものは書けませんが 世の中を良くするための 提言をしてます。 誰も振り向いてくれません。まあ 一人ガテンです。 テーマはあちこち飛びますので 項目ごとにブログを作ってます。 以前案内したホーム・ページの中を書き加えてますので 見て 下さい。 当初は物つくりでしたが 今は感性工学です。 貴殿の足もとにも及びませんが 学者のつもりで 講義もしてます。 あまり 興味がないのは残念です。 また 寄ります。ネコ
メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です
コメント ※
名前 ※
メール ※
サイト
次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。
「現代の日本語再考」、興味深く読ませていただきました。
確かに、横書きの頻度が多くなったことが変なカタカナ文字や短縮言葉の増加に拍車をかけたと思います。そういう文章を縦書きにしたら不協和音的違和感を覚えますけれどもしらずしらずの間にこの現実に慣らされ慣れきっている自分がいます。
将来、国語の教科書が横書きになることを危惧します。(勿論、杞憂です)
ここでは、言葉の変遷に少し関連して私の勘違い、勉強不足を述べておきます。
若い人たちがよく使っている「全然おもしろい」「全然おいしい」「全然かっこいい」の「全然」の使い方です。これらの使い方は慣習としてまちがっている、
「全然」ときたら末尾は否定のことばを伴うのが日本語として正しい使い方だと長い間思っていました。けれども夏目漱石も全然+肯定をつかっていました。「坊ちゃん」のなかで「生徒が全然悪いです」と。森鴎外もあるそうです。
「全然」とは「非常に」の意味で、コギャルが使う「チョー」の感覚なのでしょうか?最近は辞典でも「全然+肯定文」を肯定しています。
それでも、私は「全然+肯定文」を否定したいと思います。それはこのブログに書かれているように『日本語として美しいかどうか意識的に判断』した場合、私はどうしても、脳が拒否反応を起こしてしまいます。
『無用なカタカナの乱用』は同感です。私はカタカナの乱用は次のように思っています。一つは教育のステイタスとして。一つはハイクオリティを感じさせるとして。両方とも「上等舶来」のレガシイによるものでしょうか?カタカナをならべてしまいました。
日本語の美しさを認識しながらも「言葉の変遷に身をまかせ」ていくのでしょうか?
緒方宏司より
「現代の日本語再考」、興味深く読ませていただきました。
確かに、横書きの頻度が多くなったことが変なカタカナ文字や短縮言葉の増加に拍車をかけたと思います。そういう文章を縦書きにしたら不協和音的違和感を覚えますけれどもしらずしらずの間にこの現実に慣らされ慣れきっている自分がいます。
将来、国語の教科書が横書きになることを危惧します。(勿論、杞憂です)
ここでは、言葉の変遷に少し関連して私の勘違い、勉強不足を述べておきます。
若い人たちがよく使っている「全然おもしろい」「全然おいしい」「全然かっこいい」の「全然」の使い方です。これらの使い方は慣習としてまちがっている、
「全然」ときたら末尾は否定のことばを伴うのが日本語として正しい使い方だと長い間思っていました。けれども夏目漱石も全然+肯定をつかっていました。「坊ちゃん」のなかで「生徒が全然悪いです」と。森鴎外もあるそうです。
「全然」とは「非常に」の意味で、コギャルが使う「チョー」の感覚なのでしょうか?最近は辞典でも「全然+肯定文」を肯定しています。
それでも、私は「全然+肯定文」を否定したいと思います。それはこのブログに書かれているように『日本語として美しいかどうか意識的に判断』した場合、私はどうしても、脳が拒否反応を起こしてしまいます。
『無用なカタカナの乱用』は同感です。私はカタカナの乱用は次のように思っています。一つは教育のステイタスとして。一つはハイクオリティを感じさせるとして。両方とも「上等舶来」のレガシイによるものでしょうか?カタカナをならべてしまいました。
日本語の美しさを認識しながらも「言葉の変遷に身をまかせ」ていくのでしょうか?
ご無沙汰です。チョロンコです。
貴殿のような格調の高いものは書けませんが 世の中を良くするための
提言をしてます。
誰も振り向いてくれません。まあ 一人ガテンです。
テーマはあちこち飛びますので 項目ごとにブログを作ってます。
以前案内したホーム・ページの中を書き加えてますので 見て
下さい。
当初は物つくりでしたが 今は感性工学です。
貴殿の足もとにも及びませんが 学者のつもりで 講義もしてます。
あまり 興味がないのは残念です。
また 寄ります。ネコ