峠、辻、畑などの漢字が、いわゆる中国からきたものではなく日本で作られた国字であることは多くの人が知っている。私はその方面の知識がないのでちょっと調べてみると、魚、動物、植物などの名前に国字の多いことは予測出来たが、杣、杜、雫、梺、躾などなんとなく国字らしきものから、腺、塀、枠、株、込める、匂う、など普段使っている字にも国字がかなりあることが分かった。それに私が考えていた以上に国字の数が多いことが驚きだった。知識がないことは悲しいことだ。だが、峠、辻、畑に関して言えば、発せられる音も書かれた字面も、感覚的なものにすぎないのかも知れないが、日本の歴史や風土から出てきた感じがするのは私だけではないはずである。それらの言葉は、やはり国字というより和字といったほうがその場所的風土的感覚は伝わるような気がする。 Read More →

昨日、ずっと探していた古い雑誌がみつかった。いろいろな雑誌が積み重ねてある書架ではなく、音楽会のパンフレットやプログラムを入れてある箱の中に入っていたのである。そこで私が考えたことは、本と雑誌の違いはどこにあるのだろうか、ということだった。探していたのが書籍だったら本棚を探せばとっくに見つかっていたはずだからである。本でもなかなか見つからないこともあるが、雑誌は薄いものが多く見つけにくい。しかも読みたい記事がどこに載っているかわからない場合は、図書館に行ってもなかなか見つからない場合が多い。内容はなんとなく覚えているが記事の題名や著者名がはっきりしない場合などお手上げである。あの記事には今自分が考えていることと深く関係していたことだけは確かだ、読まなければならない、という焦りが先立つ。時間が経つとまた忘れてしまうこともあるが、あの記事は読まなければという意識だけは残っていたのだ。それを読んで、やはり重要なものだったことを再確認した。それにしても、私は雑誌は苦手らしい。
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橋にはいろいろある。向こうに渡るという目的は同じでも、その橋が作られた国・時代・場所によって全く異なった様相をもつ。丸太一本のものから、蔓で編まれ、狭い谷に掛けられていて渡るのが怖いような揺れる吊り橋、となり村との境界になっている淋しい木橋、大正時代頃独特のセメントで作られた懐かしい村中の橋、現代のように、高速道路が山間いの深い谷の上を走り、海の水面を駆け抜けるために海上に作られた何キロメートルもある長い橋まで、様々である。
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橋は特別な場所である。おそらく橋は人類が自然に働きかけた最初の工作物だろう。また、橋を見るとどうしてか渡ってみたくなる。これも人間が長い経験を積み重ねてきた無意識のようなものだと思う。なぜなら橋なるものは、向こうに渡るために作るものだからである。
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このところ難しい問題についてばかり書いてきたので、今日は少し最近経験しそこで感じた具体的なことを書いてみようと思う。
一昨日久し振りに散歩をした。私の住む福岡市の南に位置する柏原地区は、佐賀県と接している背振山系の麓にある油山と呼ばれる小高い山の東側に位置していて、以前は農作地帯だったが、四十年ほど前から山を削って新しく造成され「花畑ハイツ」と呼ばれる地域である。それ以前は小さな農家の集落が散在していただけだったという。それから福岡市の郊外の住宅地に変貌したところである。ここも高度成長期からの日本の都市変貌の典型的な姿であると言えよう。私がここに住み始めた頃はまだこのあたりは、周りに古くからの農家があったが、今は周りに少しの田んぼを残して、ほとんど一軒家の住宅が建ち並ぶようになった。現在もさらなる土地の造成と団地建設が続いている。空き家も増えているというのに、何故今さら山や丘を切り崩し、森の木を切って宅地を造成しなければならないのか私にはよくわからない。福岡市の中心からバスで四十分近くかかり、それほど交通の便がいいとも思われないのに、土地造成は終わることなく続けられている。 Read More →

色に色調があるように、音にも音調がある。「音色=ねいろ」と言ってもいい。
音色という言葉で、私が思い出すのは、豆腐を売り歩くときに外の道路から聞こえてくる笛の音である。特に夕暮れの頃聞こえてくる豆腐売りの笛の音ほど淋しく、また哀しく響く音は外にあまりない。子供の頃から私の耳にあの哀しそうに響く音は未だに変わらない。理由はよくわからない。路地を歩きながらの豆腐売りが何時頃始まったのかも分からないし、豆腐売りのあの笛は何時誰が使い出したのだかはなおさら不明だ。ただ私にとって肝心なのは、何故あのような哀しい音になったのだろうか、ということである。それとも私だけがあの笛の音にそのような感情を抱いてしまうのだろうか。
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「雨の降る日はあはれなり良寛坊」
「巷に雨が降るごとく、わが心にも涙降る」(ヴェルレーヌ、堀口大学訳)
近年、雨や雪の降り方、風の吹き方などが以前と少し様子が変わってきているということに気付いた人は多いと思う。これまでの四季の移り変わりに変化の兆しが表れて来たことは確かだ。長年俳句を作り続けているある近所の方が、最近春と秋がなく、冬と夏ばかりになってしまったように感ずると、嘆くように言っていた。大げさにも聞こえるが、おそらく俳人の実感なのだろう。 Read More →

墓碑または墓標は人間が存在したことの証である。それは、時代・民族・文化などの差異を超え世界の至る所に見られる現象であり、人間存在そのものの刻印である。生あるものはいつか死ぬ。その事実を自覚すること、それが人間の絶対条件である。しかしそこには不思議な条件が加わる。死ぬのは自分だがそれを葬るのは自己以外の他者が行う行為である、ということだ。ということは、生あるものは死ぬ、という条件以上に人間的な行為は死者を「葬る」という行為なのである。墓碑や墓標を作るのはその人間的な行為の結果である。 Read More →

「猛き者も遂には滅びなん」と『平家物語』にある。
太宰治は『右大臣実朝』で「平家ハアカルイ、アカルサハホロビノ姿デアラウカ」と書いた。それに「國も人も、暗いうちは滅びませぬ」と付け加えた。以前から私はこの太宰の言葉をどう受け取ったらいいか、ずっと考え思い悩んできた。未だにその解決は見えていない。しかし最近「アカルサハホロビノ姿」というところは少し看取できるようになってきたような気がする。太宰にとって平家が問題だったのだろうが、私にはその辺のところはよく分からない。ただ源氏が主語になることはない、ということぐらいだけは感覚的に理解できそうに思う。 Read More →

新緑の五月になった。
今日5月4日は「みどりの日」と呼ばれる日だそうである。それで「緑=みどり」というい色について少し考えてみた。
周りを眺めると、田畑や森にさまざまな緑色が広がっている。しかしそこには何種類の緑の色があるのだろうか、濃淡や質感を入れればその数は限りなくある。一度数えたことがあるが、微妙な違いまで入れれば数えきれない。残念ながら、あるいは当然そのそれぞれの緑色を指す言葉はない。特別美しい緑色が見えても、あそこに見えるあの樹の枝の緑というように直接示す外にないのである。つまり他人にその緑色を喚起させようとすると、直に指差すより外にない。言葉では語れないのである。特にこの時期の「緑」は特別に思える。多様な緑が目に留まるからである。染織家の志村ふくみさんに言わせると、染めるのに一番難しいのはやはり緑だそうである。自然に目を向けると、緑はどこにでもあるが「草木の染液から直接緑色を染めることはできない」(志村ふくみ『色を奏でる』)と書いている。緑はやはり特殊な色であるらしい。スタジオ・ジブリではアニメ制作のために七色の異なった緑色を用意しているそうである。その異なった七色にそれぞれ名前をつけているのだろうか。それとも緑1、緑2、緑3というような区別をしているのだろうか。 Read More →