NHKの放送に以前から「小さな旅」という番組があり、名前を変えながらも今も続いている。30分にも満たない短い番組だが機会があるとよく見ている。最近、TVが実に内容のない娯楽番組、あるいは娯楽にさえならないトークショウのような形式のものばかりで、.興味が持てないものが多く、全く面白くもない。この感想は私だけでなく多くの友人や、近所の方々の感想でもある。TVの時代は終わったという声さえ聞かれるようになってきた。TVを見るのは若い人は少なく、年寄りの見るものに成り下がったようにさえ見える。そんな中で「小さな旅」は昭和58年に始まって以来その雰囲気を今でも伝えようとしているところがあり、好感が持てる番組である。

私の意識には、旅とは見知らぬ場所を訪れ、見知らぬ風景に出会い、見知らぬ人に遇う、そんな感じがどかにある。勿論ある目的を持って、その目的地に行く旅もあるし、あっていいと思う。友人と行くふたり旅を長いこと毎年やってきたが、だいたいこの方面に行くときめるだけで、特別な目的もない旅が多かった。その友人が突然亡くなってしまったこともあって、最近一人旅が多くなった。どちらがいいとは言えないが、一人旅はやはり寂しい。ただそれだけ、旅先で出合う場所や風景や人びとに特殊な近親感を感ずることが多い。一人旅は「小さな旅」になることがしばしばである。ただ、旅につける「小さな」という形容詞は決して距離的に「近い」ところへの旅とか、時間的に「短い」旅とかいうことではないし、意味も違う。確かにイタリアやスペイン、フランスやドイツに行く旅を「小さな旅」とは言わないだろうし、まして南アメリカやアフリカに行くことにそのような言葉は使わない。また、九州の福岡に住んでいる私たちにとっては、国内でも北海道や東北地方への旅なども「小さな」旅とは呼ばないだろう。私がここで言いたいのは、そのような遠くに行く旅であっても、その途中で遭遇する出来事は、それほど特殊なことでなくても、そこで普段とは違う何かを感ずることがしばしばある、ということである。その感覚には「小さな旅」とここで呼んでいるものがわれわれに残す、なかなか言葉にならない、ある種の懐かしさを感じさせるような何かがつきまとう。それにその出来事が、それほど時間的に昔でもないのに、遠いところで起こった昔の出来事のように懐かしく蘇ってくるのである。それがそもそも「旅」というものがもたらす不思議な感覚であり、それが「小さな旅」につきまとう出来事の記憶となり、「思い出」となって、時に何の脈略もなくふと蘇ってくるのである。
私にとって「旅」とは、そのような「小さな旅」の連続ないしはそれらが積み重ねられて作られた記憶の全体である。それぞれの小さな出来事が消えずに残り続けることが肝要なのである。考えてみれば、人の人生などと言っても、変化のない毎日毎日の、いわゆる日常生活の積み重ねである。そういう生活の中にあって、ふと思い出されることがある。「こんなことがあったなあ」という一種の感慨を持って蘇ってくることがある。その経過が、ここで私の言う「小さな旅」ということの核にある出来事のようにも思えてくる。だんだんと時間が立つに連れて、ここで言う、その「小さな旅」が自分にとっていかに大切なものか実感されてくるのである。
少し事情は違うが、寺島儀蔵の『長い旅の記録ーわがラーゲリの20年』とヘルムート・シュテルンの『ベルリンへの長い旅ー戦乱の極東を生き延びたユダヤ人音楽家の記録』の二冊の旅の記録は、私にとって忘れられない印象を今でも残している書物である。両方とも居住地はなく、人生を旅で過ごしたとも言える日々の経験の記録である。まさに「長い長い旅」であった。さすがにこれを「小さな旅」とは言えまい。
しかし、読んでいると不思議な事にそれが長い旅だとは思はなくなってくる。「長い旅」というのは読んだ後の感想であり驚きの表現である。そこに書かれた出来事は、私がここで言う「小さな旅」の連続のように感じられる。そこには、異郷の中を彷徨っている時出遭った人びとや、その情景やそこでの思いが語られているのだが、そこで起きる事件は小説のように一貫した物語が連続しているわけではない。普通考えれば決して大事件ではなく、小さな出来事だが、著者にとっては非常に重要で、深く記憶に刻まれた事件として書かれている。心に残った事件だったのである。そん事件を読む私たちも、著者の心の動きに触発され、その事件を自分のことのように感じ読み継いでしまうのである。これが私の言う「小さな旅」の意味である。長い長い旅も、この「小さな旅」の連続であり、集積なのではあるまいか。
私がヨーロッパで生活するようになってすぐの頃であったと思う。40年ほども前のことだ。友人と二人で北フランス、ノルマンディにあるかの「モン・サン=ミッシェル」修道院に行った。パリは避けて、ノルマンディからブレターニュ地方に行く途中だった。現在では日本からもフランス旅行の一部として人気が高く、多くの人が訪れる場所である。早くからユネスコの世界文化遺産にもなっていることもあって、今でも一年中賑わっているという。私たちが行ったころも確かに人が多かったが、現在はその比ではなさそうだ。サン=ミッシェル修道院は海の中にある小さな島の上に建設されている。潮の満ち干きによって島になったり、陸続きに見えたりする特殊な場所にある。しかもここは、潮の満干が15メートルも差がでる特殊な地形でもあるらしい。昔から、ここで潮の流れに飲み込まれ人たちも少なくなかったと、解説書にも記されている。聖堂に通ずる入り口から狭い道と階段が続いて、両側には土産物を売る店や骨董品屋などが並んでいる。上まで行くにはかなりの距離がある。いかにも古くから巡礼者などが行き来した雰囲気が今でも残っている細い坂道である。
私たちも、ここを訪れてきた人びとと同様にその坂道を上り始めた。入り口からすぐのところに、小さな屋台のような店があリ、そこでアイスクリームを売っていた。夏の暑い日照りの日だったので何人かの客が並んでいた。母親と娘だろうか二人で客に忙しそうに振舞っていた。私たちも買おうとしたが、上にある聖堂に行く坂の方に向かっていたので、帰りながらゆっくり買おうと言うことになった。そこでアイスクリームを売っていた若い少女ほどの年齢の娘さんが、私たちがそこを通りすぎる時、私たちの方を向いて微笑んでくれた。なんとも可愛らしい、顔立ちの整った女の子だった。何故ここにこんな女の子がと思わせるような美しさだった。奇妙な驚きを私たちは同時に感じていた。
後で話したことだが、その女の子の印象は二人とも全く同じようで、まさに「驚き」に近いものだった。あの女の子の美しさがそれから頭を離れなくなった。罰が当たりそうだが、巡礼に来た甲斐があった、と思ったものだ。私たちは、モン・サン=ミッシェルのゴシック風の聖堂と空中に広がるような珍しい回廊を見、そこから見える海をしばらく眺めて、もと来た道を下った。二人とも、下のアイスクリーム屋さんのことが気になり、それからの話しの中心になった。まだあの少女はいるだろうか。急ぎ足のような格好で歩き、坂の入り口にやって来た時、まだあの美しい少女は先ほどのように客にアイスクリームを手渡していた。なぜか二人とも無口になり、客達が並んで待っている列に入った。何分ぐらい待っただろうか。私たちの番になった。少女はやはりやさしく微笑みながら「何にしますか」と言ったのだろうと思う。声もきれいに弾んでいた。私たちはその頃全くフランス語が出来なかったので、知っている言葉を探し、おそらく「ジェラート、二つ」と言ったと思うのだが、はっきり覚えていない。ジェラートはフランス語ではないが、言った意味が通じたのか、少女は何も言わずに、いわゆる大きなソフトクリームを二つ手渡してくれた。値段も全く記憶に無い。ただ、渡してくれた少女の細い手の美しさだけは記憶から離れなかった。今も離れていない。帰りながら、アイスクリーム屋の娘さんは、なんとも綺麗だったと二人で何度も言い合った。その時の友人は今はもはやすでにいない。あの少女について語り合うことはもう出来ない。ただ美しい少女とモン・サン=ミッシェル修道院とは分かちがたく結びついて、今では、その友人との旅の追憶になっている。こんな記憶が、私のここで言う「小さな旅」と言える道行きの消えない何かなのだ。

One Thought on “私の「小さな旅」

  1. 宗像 眞次郎 on 2016年5月18日 at 8:33 AM said:

    わたしはほとんど旅の経験がありません。遠出するのは明確な用向きがあるときだけ。だから旅というのはどんなものなんだろう?というのは常にあります。
    経験がないのに言うのはおかしいのですが、旅をすることをなんとなく躊躇してしまう自分がいます。
    行った先で、いろんなものに触れる、なにがしかの感慨を覚える、そのとき、よけいに孤独感を覚えるような気がしてしまいます。
    そこで見聞きするものは、わたしにとっては新鮮で興奮をさそうものだとしても、それは地元のひとたちにとってはありふれた日常の一コマでしかない。そのとき、じぶんは「よそもの」なんだという事実を否応なく自覚するのではないか。じぶんはこんな「場違い」なところに何しに来たんだろう?わざわざそんな気分になるためにお金と時間を使う必要があったのか?・・・そんな類の鬱屈した思いに囚われてしまうのではないか・・・・
    記事をお読みして、でも、ぶらっと遠出して、さしたる目的もなく地図と観光案内だけを携えてあちこち歩いていたら、ひょっとしたらいままで予想もしなかったなにかを感じることができるかも知れないな、と思いました。
    こういうことはわたしにはめずらしいことです(笑)

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