誰も知っている歌に「ふるさと」という唱歌がある。「故郷」と書くのだが、ほとんど「ふるさと」とひらがなでルビをふっている。なぜだろうか。

おそらく「故郷」と「ふるさと」とは意味が異なり、想像する対象も内容も異なっているからではあるまいか。おそらく語感として、故郷と郷里はかなり近いが「ふるさと」は違う。あなたの郷里はどこですか、と聞かれると、長野県ですとか岡山県です、とか答える。さらに長野のどこですかと問われると、松本の南西、塩尻というところです、というように会話は続くのが普通である。つまり、郷里とは自分に関係する土地の固有名で答えることになるのである。それに対して、ひらがなで「ふるさと」というと、どこそこという固有名ではなく、一昔前の風景や情景、それに伴うそれぞれが心的に描く記憶や追憶と結びついているが、どこという規定はない。記憶の内容は個人的であっても「ふるさと」という言葉は包括的で、抽象的に概念的とさえ言える。しかも日本人だったら誰でも、どこか共通した「ふるさと」を思い浮かべることができるはずである。都会に住んでいても「ふるさと」は偏在するからである。唱歌「故郷(ふるさと)」は、1914(大正3)年に『小學唱歌』に掲載された。高野辰之の作詞、岡野貞一が曲をつけたといわれている。高野は長野県、岡野は鳥取県出身である。現代までこの曲は日本中どこでも日本の「ふるさと」一般として好んで歌われている。誰にでも歌いやすいメロディということもあるが、歌詞に「うさぎ追いしかの山」「小鮒釣りしかの川」と場所の固有名が使われていないところが大きいと思う。かの山、かの川は、どの山、どの川を思い出してもいいのである。しかし、自分に身近な固有名が詠いこまれている歌(ご当地ソングなど呼ばれるようなもの)に強く惹かれることはごく普通にありうることである。それを否定しているわけではない。それぞれがそれぞれの「ふるさと」の自然を想起し、それぞれの家族への思いをそれぞれの仕方で喚起させてくれる言語的普遍性を、つまり個別であり固有であるものは普遍的な表現によってもっともよく表現され得るのだ、ということを無意識のうちにこの歌から、われわれは感じ取っているのである。
 この唱歌は、文語が口語へと移り、都市と田舎の区別が意識され、教育が庶民に浸透し、固有と普遍が共存しえた「大正時代」の幕明けの言語感覚と、その大衆文化意識が生み出した、近代日本人の心情なるものを「そうありたい」という形で表出し、さらにそれを「共有する」可能性を示した歴史的意味をもつものだと考えていいと思う。

7 Thoughts on “小学唱歌「故郷(ふるさと)」

  1. kzkbys on 2012年5月4日 at 9:06 PM said:

    こんばんは。
    固有名がない故にある普遍性を持つ「ふるさと」という指摘から、ある歌い手のことを紹介したくなりました。
    志村正彦という希有な存在のことです。フジファブリックというロックバンドのリーダー・ヴォーカルでソングライターであった彼は、富士吉田で生まれ、18歳で上京しました。東京で「プロ」になるという確固たる「欲望」を持って。彼はその「欲望」をゆずることなく、独創的な歌を創り出し、2004年にメジャーデビューして、4枚のCDをリリースしました。すべて過去形で叙述しているのは、2009年12月、原因不明の病のために彼の生が突然閉じられてしまったからです。29年間という生の時間でした。
    志村正彦の歌には、春夏秋冬の時の感覚と「富士吉田の街」という場の記憶を刻印した、非常に優れた作品があります。具体的な地名はいっさい書かれないために、逆に、誰にとっても普遍的な「幼少年期」の世界やその季節を想起させられます。もっとも、僕など比較的近くで暮らしている者にとっては、また別の次元の懐かしさに包まれるのですが。
    グーグルやyoutubeで検索すれば、歌詞や映像に出会うことができます。
     私もある縁があって、昨年12月に富士吉田で開かれた「志村正彦展路地裏の僕たち」に関わることになりました。 http://fujifabinbkk.blogspot.jp/2012_01_01_archive.html というwebsite にそのことが触れられています。拙文も掲載されているので、よろしかったらお読みください。この「Fujifabric International Fan Site」
    では彼の全詩を英訳するという貴重な試みがなされています。(主催者は甲府出身でタイ在住の方です。労多い作業にとても感謝してます。)彼の歌は、そして、彼の「ふるさと」という場は、富士吉田から東京を経由して、日本という場を超えて、むしろ世界へと広がっていく気がします。

  2. バンコクのジャックラッセル on 2012年5月10日 at 1:21 AM said:

    初めてコメントさせて頂きます。
    私の運営する「Fujifabric International Fan Site」にて、「日時計の丘」をご紹介させて頂きました。その節は、どうもありがとうございました。
    「ふるさと」における言語的普遍性について、とても興味深く拝読致しました。
    現代を生きる日本人の多くが、実際幼少期に山でうさぎを追ったり、小鮒を釣った経験などないのでしょうが、不思議と郷愁の念にかられる曲であります。masatoshiさんがおっしゃるように、言語的普遍性のお陰で、うさぎにも小鮒にもとらわれることなく、個々の山や川での想い出等を通じて、ふるさとを追憶するのでしょう。
    出身地の風景に、自分を取り巻く人々(家族、友人、隣人、恩師など)との想い出が皆一つに溶け合って、心の中に「ふるさと」を形成するのだと、私はフジファブリック 志村正彦さんを通じて初めて気付かされました。「志村正彦のふるさと」は心象スケッチという工程を経て曲になり、いまだに人々の心に響き続けています。ふるさとを遠く離れて暮らす私のような者には、特別な輝きをもって響きます。
    今日は甲府の夕暮れ時、街中に響く「ふるさと」を、懐かしく思い出しました。

  3. バンコクのジャックラッセルさま
    メールヘのコメントありがとうございました。感謝です。
    「志村正彦」という名前は、以前からから聞いてはいました。
    もちろんライヴにはいったことはありませんが、聞いていて曲と歌詞が不思議な関係にあるという感じを受けています。単にマッチしているということではなく、言葉が音曲に収斂していくといった感じででしょうか。これは私の想像ですが、おそらく、感情・イメージ・言葉が分かれることなく、コメントにもありましたたように「心象スケッチ」(宮沢賢治が使っている意味での)として内的に経験され、それが作曲する過程のなかで、創作するというよりは、曲として生成されてくるのではないでしょうか。曲が全体として自然な感じを受けるのはそのためではないかと思われます。あえて比喩的に言えば「登山」ではなく「峠越え」と言った感じです。
    また、「路地裏」ということに関して、ブログに「街角を曲がり、路地裏を歩く」という文章を書くつもりです。

  4. バンコクのジャックラッセル on 2012年5月10日 at 1:23 PM said:

    早速のお返事、恐縮しております。
    同郷の者として、私は志村正彦さんを心から尊敬し、誇りに思っている一人です。これからも富士の麓から、日本に、そして世界の国々に彼の楽曲が響き続けていくことを、願って止みません。
    「街角を曲がり、路地裏を歩く」
    今からとても楽しみにしております。今後ともよろしくお願い致します。

  5. 川上 義明 on 2013年3月22日 at 10:46 PM said:

    「故郷」の歌を聴いたり、歌ったりすると自分が生まれ育った土地への懐かしさは、今年で67歳になる私には、若い頃より強く感じるようになりました。以前、よく冗談で、「うさぎ追いしかの山」を「うさぎおいしいかの山」と言い換えて、ウサギの肉ってどんな味がするのだろう、一度食べてみたいものだと思ったりしました。高野辰之さんの歌詞の3番の「志を果たしていつの日にか帰らん」というところは、明治・大正期の立身出世主義を表しているものと思っていましたが、「志」の内容は明示していない訳ですから、もう少し広く「志」の意味を考えて良いのではないかと思います。何らかのかたちで社会への貢献を成し遂げた人が、故郷で残りの人生を過ごしたいという気持ちには共感するところがあります。また、そのあとの歌詞に「山は青きふるさと、水は清きふるさと」とあり、幼い頃の故郷のイメージを表しているようにも思えますが、環境問題というように捉えたら、山も水も荒らされ汚れきった故郷に直面した場合、
    「志を果たした」人が、「こんなふるさとは嫌い」と逃げるでしょうか。「志」がきちんとした人であれば、故郷の環境問題にも取り組む気力が残っているのではないでしょうか。考え過ぎかもしれませんが「故郷」という歌は、単なる唱歌ではないような気がします。

  6. 川上様
    コメントありがとうございました。
    唱歌「故郷」は、ブログにも書きましたように個別的な具体性が書かれていません。、それは意識的というより無意識的だったのでしょうが、時代の要請だったとも言えるかもしれません。高野の歌詞だけでなく、岡野のメロディーにもそれは言えることです。時代がもたらしたであろうその幸運な関係が、今でも全国で事あるごとにこの「故郷」が歌われる理由であることは間違いありません。そういった意味でもおっしゃる通り、単なる「小學唱歌」を超え、いまでもすべての日本人がそうありたいと願っている、普遍的「ふるさと」をこの歌に感じ取っているのだと思います。歴史的幸運というよりほかありません。しかもそれが大正時代だったということは偶然ではなさそうです。その辺の事情もこれから考えてていく必要はありそうです。

  7. 唱歌「故郷」の3番の歌詞を考える人 on 2016年6月6日 at 9:35 PM said:

    唱歌「故郷(ふるさと)」の歌詞は文語で記述されています。
    さて、3番の歌詞の中の「いつのひにかかへらん」(文語)を、「いつの日にか帰ろう」と解釈することが多いようですが、それは、妥当ではありません。
    解析した結果、「いつのひにかかへらん」(文語)は、「いつ帰ることができるのだろうか」と解釈することが妥当であると判明しました。
    望郷の思いを記述しています。
    そのため、日本軍部は、「女々しい」と考えたのでしょうか、昭和17年に発行された教科書から、この唱歌「故郷」は削除されています。復活したのは、昭和22年に発行された教科書からです。
    唱歌「故郷(ふるさと)」の歌詞の意味をしっかりと把握した上で、議論をすることが必要であると考えます。
    ——————————-
    ■解析
    ——————————-
    いつ
    の:文語の連体助詞で、「体言と体言を繋げ、前の語の内容を後の語に付け加えることで、後の語の内容を限定する」はたらきをもつ。
    ひ:日
    に:文語の格助詞で、「体言に付いて、動作・作用の(1)場所、(2)目標、(3)時、(4)比較の基準などを示す」はらたきをもつ。
    か:文語の係助詞で、「文末の連体形の語と組み合わさって、係り結びを構成し、疑問あるいは反語を示す」はたらきをもつ。
    かへら:帰ら:文語の「帰り」の未然形である。
    ん:文語の助動詞「む」(直前の未然形の語に接続し、推量の意味をもつ)の連体形である「む」を読みかえて「ん」と記載したものである。
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    解析結果:いつ帰ることができるのだろうか
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