記憶に残る書物は多々あるが、今回は忘れがたく、今でも手元に残っており、居間の書棚においてある「学習参考書」について書いてみたい。
一つは、山崎貞の『新々英文解釈研究』(研究社)であり、もう一冊は、小西甚一の『古文研究法』(洛陽社)である。懐かしいと思われる方も多いと思う。他にもあるかと思うが、この2冊は今でも版を重ねており、購買可能である。

 山崎の『英文解釈研究』はなんと大正元年秋に初版が出ており、大正4年秋に改定増補版が出るまでの三年半で十数版を重ねたという。山崎の死後、佐山栄太郎氏が1958年以降改定に改定を重ね現代までも版を更新し続け、現在第九訂版として出ている。このようなロングセラーの本はそうあるものではない。英語がこれほど普及した今日でも、十分読むに耐える内容である。明治の坪内逍遥や夏目漱石以来英語力が向上したとは到底思えない。鴎外の書くドイツ語には、時代を超えて読むに耐えうる内容と品格がある。彼らには、外国語を学ぶ任務があったと同時に、外国語を学ぶ自尊心があった。現在は「ハローワーク」などという聞くに堪えない、浅はかな和製英語がまかり通っているだけである。「異文化間コムニュケーション」等の標語に踊らされ、会話重視に偏ってしまった、現代の外国語教育に欠けているものがあるとすれば、外国語に対する尊敬と母国語への愛着である。言葉を軽々しく、安易に使ってはならない。言葉は、文化や歴史、道理や品位を担っているものだからである。どうも現在の日本において、外国語を初心に戻って学びな直す必要がありそうだ。 
小西の『古文研究法』の初版は昭和30年だが、この参考書によって、私は古文の深みと面白さを知った。そういう方は多いと思う。この書物は学習参考書でありながら、それをはるかに超えた高度な内容をもっている。今でも古文研究に欠かせない書物と言っていいかも知れない。一昨年の2010年にちま学芸文庫から『古文解釈』が復刻された、と聞いた。このような書物が文庫化されるのは頼もしいことだ。
 この両方の書物は「ことば=言葉=言語」の重要性を、若き日の私に植えつけてくれた大切な書物である。今でも折に触れてページをめくっている。そこでは「言葉を学ぶこと」の意味が語られ、それが読む者に伝わってくるのである。

One Thought on “忘れがたい「学習参考書」

  1. 学習参考書というとどうしても受験勉強を思い出してしまいますが、「勉強しなければならない」時期を過ぎて、「学ぶことが楽しい」現在の視点で読めば新たな発見がありそうです。たまたま復刻された小西甚一の『古文の読解』(ちくま学芸文庫)を読み返したところで、高校生の時お世話になった『古文研究法』も読み返してみたくなりました。

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